どこの社でも、幹部の異動などは、社内で下馬評が生まれ、二、三の意外性をのぞいては、お
おむね、下馬評通りの発令になるというのが定石である。それが、日テレではついぞそんなことはなかったという。
社のウラの自家用車置場。アイボリーや赤の小型、中型車がズラリと並んで、若い女性局員たちがさっそうとのりまわしている。
——確かに、新聞よりはサラリーがいい、若い連中ほど、そうかもしれない。しかし、マスコミという仕事は、そんなふうに、上の人事に無関心で、自分のサラリーだけ働けばよい。労働の報酬なんだと、割り切ってすむものなのだろうか。
〝伝説〟がない、と嘆いた古手局員の述懐である。そして、それは確かである。正力の手がけた事業の中で、〝一流中の一流〟となりつつあるのは、読売新聞だけである。
報知は、スポーツ紙としてはAクラスなのだろうが、一位の座は日刊スポーツに占められ、しかも、次第に水をあけられている。テレビでも、草分けの日テレがTBSに大きく引離されているのである。それなのに、何故、読売新聞だけは、大朝日が百年を費して築いた五百六十万部に対し、半分の五十年だけで迫ろうとしているのだろうか。しかも、その四十万部の差は、すでに刻々と縮められつつあり、読売の戦う姿勢は十分なのである。
〝務台教〟に支えられる読売
これらの〝正力コンツェルン〟の本家、読売新聞には、それに相応しく〝伝説〟が、いろいろとある。その一つが〝務台教〟とその信者であろう。
務台光雄。読売副社長である。務台はそれこそ〝業務と販売の神様〟なのだから、〝務台教信者〟が現れても不思議はない。彼にまつわるエピソードは極めて多い。ある読売関係者が私にこうきいたものである。
「務台さんという方は、全く立派な方だそうですネ。……停年退職者が出ると、自分の部屋によんで、上座に座らせ、退職金の袋を渡して『長い間、読売のために働いて頂いて、本当にありがとう。あなたのお陰で、読売もここまで伸びました』と、深く頭をさげて感謝の意を表する。そして、その夜は、本人の好みに応じてツキ合ってやり、翌朝また電話して、身体は大丈夫かと問合せてくる——という話ですが、本当でしょうか」
そのほかにも、務台にまつわる逸話は前にも述べたが、ここに紹介しきれないほどである。私自身の体験からいっても、務台の人柄には、人の心にジーンとしみこむものがあるのだ。