務台教に支えられる読売」タグアーカイブ

正力松太郎の死の後にくるもの p.002-003 目次 1~5

正力松太郎の死の後にくるもの p.002-003 目次
正力松太郎の死の後にくるもの p.002-003 目次

正力松太郎の死の後にくるもの——目次

1 正力さんと私(はじめに……)

銀座の朝に秋雨が……/正力〝社長〟の辞令

2 死の日のコラム休載

編集手帖なしの読売/正力なればこその「社主」

3 有限会社だった読売

悲願千人記者斬り/「畜生、辞めてやる!」の伝統/慄えあがった編集局長/五人の犯人〝生け捕り計画〟/社史にはない二度のスト/強まる「広報伝達紙」化/記者のド根性/紙面にクビをかける

4 〝務台教〟の興隆

朝・毎アカ証言の周辺/記事の魅力は五パーセント/読売の〝家庭の事情〟/務台あって の〝正力の読売〟/販売の神サマ復社す/七十三歳のブンヤ〝副社長〟/〝読売精神〟地を払うか/出向社員は〝冷飯〟組/正力〝法皇〟に対する本田〝天皇〟/〝アカイ〟という神話の朝日/封建制に守られる〝大朝日〟

5 正力コンツェルンの地すべり

正力代議士ついに引退す/報知新聞のド口沼闘争/伝説断絶の日本テレビ/〝務台教〟に 支えられる読売/小林副社長〝モウベン〟中/〝社長〟のいない大会社/新聞、週刊誌に追尾す

正力松太郎の死の後にくるもの p.194-195 〝務台教〟とその信者

正力松太郎の死の後にくるもの p.194-195 停年退職者が出ると、自分の部屋によんで、上座に座らせ、退職金の袋を渡して『長い間、読売のために働いて頂いて、本当にありがとう。あなたのお陰で、読売もここまで伸びました』と、深く頭をさげて感謝の意を表する。
正力松太郎の死の後にくるもの p.194-195 停年退職者が出ると、自分の部屋によんで、上座に座らせ、退職金の袋を渡して『長い間、読売のために働いて頂いて、本当にありがとう。あなたのお陰で、読売もここまで伸びました』と、深く頭をさげて感謝の意を表する。

どこの社でも、幹部の異動などは、社内で下馬評が生まれ、二、三の意外性をのぞいては、お

おむね、下馬評通りの発令になるというのが定石である。それが、日テレではついぞそんなことはなかったという。

社のウラの自家用車置場。アイボリーや赤の小型、中型車がズラリと並んで、若い女性局員たちがさっそうとのりまわしている。

——確かに、新聞よりはサラリーがいい、若い連中ほど、そうかもしれない。しかし、マスコミという仕事は、そんなふうに、上の人事に無関心で、自分のサラリーだけ働けばよい。労働の報酬なんだと、割り切ってすむものなのだろうか。

〝伝説〟がない、と嘆いた古手局員の述懐である。そして、それは確かである。正力の手がけた事業の中で、〝一流中の一流〟となりつつあるのは、読売新聞だけである。

報知は、スポーツ紙としてはAクラスなのだろうが、一位の座は日刊スポーツに占められ、しかも、次第に水をあけられている。テレビでも、草分けの日テレがTBSに大きく引離されているのである。それなのに、何故、読売新聞だけは、大朝日が百年を費して築いた五百六十万部に対し、半分の五十年だけで迫ろうとしているのだろうか。しかも、その四十万部の差は、すでに刻々と縮められつつあり、読売の戦う姿勢は十分なのである。

〝務台教〟に支えられる読売

これらの〝正力コンツェルン〟の本家、読売新聞には、それに相応しく〝伝説〟が、いろいろとある。その一つが〝務台教〟とその信者であろう。

務台光雄。読売副社長である。務台はそれこそ〝業務と販売の神様〟なのだから、〝務台教信者〟が現れても不思議はない。彼にまつわるエピソードは極めて多い。ある読売関係者が私にこうきいたものである。

「務台さんという方は、全く立派な方だそうですネ。……停年退職者が出ると、自分の部屋によんで、上座に座らせ、退職金の袋を渡して『長い間、読売のために働いて頂いて、本当にありがとう。あなたのお陰で、読売もここまで伸びました』と、深く頭をさげて感謝の意を表する。そして、その夜は、本人の好みに応じてツキ合ってやり、翌朝また電話して、身体は大丈夫かと問合せてくる——という話ですが、本当でしょうか」

そのほかにも、務台にまつわる逸話は前にも述べたが、ここに紹介しきれないほどである。私自身の体験からいっても、務台の人柄には、人の心にジーンとしみこむものがあるのだ。

正力松太郎の死の後にくるもの p.196-197 新聞記者としては額にうけた向う傷サ

正力松太郎の死の後にくるもの p.196-197 私が横井事件に関係して引責退社することになったとき、当時の小島編集局長は、「キミ、キミ。金はとってないだろうネ。金を!」という、大変失敬な返辞しかできない男だったが、務台専務は違っていた。
正力松太郎の死の後にくるもの p.196-197 私が横井事件に関係して引責退社することになったとき、当時の小島編集局長は、「キミ、キミ。金はとってないだろうネ。金を!」という、大変失敬な返辞しかできない男だったが、務台専務は違っていた。

昭和三十三年七月、私が横井事件に関係して引責退社することになったとき、私は務台に挨拶にいった。当時の小島編集局長(故人)という、私の上司は、「キミ、キミ。金はとってないだろうネ。金を!」という、大変失敬な返辞しかできない男だったが、務台専務は違っていた。

「ウム。事情はきいたよ、ナーニ、新聞記者としては、額にうけた向う傷サ。サッパリ片付けたら、また社にもどって働いてくれ給え。元気でナ」

警視庁へ出頭する前のこの言葉は、どんなにか私を感激させてしまったことだろうか。務台の人間的な魅力、人使いのうまさは、ここにあるようだ。そして、これらの言葉は、決してその場限りのものではなく、退社後も何回か、人づてに「務台さんが、三田はどうしたかナ、と心配されてたよ」と、激励の言葉をきかされているのだった。

報知と報知印刷とに赴いた、菅尾と岡本も、多分、務台の懇請に応じて、いわば死地に出陣したものであろう。ここで想起されるのが、昭和四十年春のいわゆる「務台事件」である。

その年の春闘で、読売労組は「七千五百円アップ」の賃上げを要求して、スト権確立の全員投票までを決定した。闘争気運が次第に盛り上ってきた三月十七日、代表取締役専務の務台は、「所感」をもって代表取締役副社長の高橋雄豺のもとに辞表を提出、慰留をさけるため、そのまま居所をくらましてしまった。

その詳細は、さきに述べた通りであるが、この「務台事件」の結果、〝正力の読売〟とは、その

前置詞として〝務台あっての〟正力の読売であることが、明らかにされた。

正力と務台との出合いは、今から四十年も前の昭和四年、当時全盛の報知新聞の市内課長であった務台を、販売部長として読売に迎えたのにはじまる。こうして、務台は正力の女房役として、販売一本槍で四十年を共に歩んできた。今日の読売の大をなした正力も、確かに、務台あったればこそのことであった。

務台は、明治二十九年六月六日生まれ。早大政経科を大正七年に出て、新聞界に入った。

思えば、わずか四年前のあの務台事件当時の危機を脱し、隆々たる今日の実力を回復したのは、果して何であろうか。

「朝日」取材の時に、朝日大阪編集局長の泰はいった。「宅配制度の崩壊は、時の流れでもあろう。読売の強力な追いあげに、朝日も懸命である。そして、三紙てい立の維持に必死の毎日——販売費はいよいよ高騰し、小刻み値上げが断続し、各社ともに戦力を使い果したとき、ようやく共販・共同集金などの合理化が検討されよう。その時、どの新聞が生き残っているかが問題である」と。

販売費の高騰——ということは、各社が血みどろの販売合戦に、どれだけ経費を注ぎこめるか、という、〝金融能力〟にかかってきている。

朝日は、大阪、名古屋などの新社屋建設のために借入金が増大し、毎日は、もはや担保に入れるべき自社社屋を失って、パレスサイド・ビルの借家人である。その時、読売が借金のできる体

制であることは、大変な強味であろう。

正力松太郎の死の後にくるもの p.198-199 〝非現代的〟な人間模様の闘い

正力松太郎の死の後にくるもの p.198-199 新聞という企業は、不思議な近代企業である。新聞のすみずみにまで、あらゆる〝現代科学の粋〟がとり入れられていながら、それを造る人々の中には〝非現代的〟なあらゆるものが巣喰っているのである。
正力松太郎の死の後にくるもの p.198-199 新聞という企業は、不思議な近代企業である。新聞のすみずみにまで、あらゆる〝現代科学の粋〟がとり入れられていながら、それを造る人々の中には〝非現代的〟なあらゆるものが巣喰っているのである。

朝日は、大阪、名古屋などの新社屋建設のために借入金が増大し、毎日は、もはや担保に入れるべき自社社屋を失って、パレスサイド・ビルの借家人である。その時、読売が借金のできる体

制であることは、大変な強味であろう。

さて、一応の結論へと進まねばならない。ポスト・ショーリキとは、事実上はポスト・ムタイであるということである。正力は〝郷土の後進〟に選挙区をゆずるよりは、やはり、小林に渡したい気持ちは十分なのであろうが、今、読売が、正力、務台とたてつづけに失ったならば、一体どうなるであろうか。

原四郎編集局長は、務台に極めて近い、とされている。事実、務台——原ラインが、今の読売新聞をガッチリとおさえて、朝日打倒の陣を進めているのであろう。しかし、ポスト・ムタイである。小林を今読売から抜いたのでは、その時が心配なのであろう。

報知の〝正常化〟は、務台がのりだしたからには一安心。亨にはテレビ塔に専念させれば、レールは自分がひいておくから、これまた安心。他の細かいものは、武にみさせる。こんな〝跡目〟青写真が、正力の脳裏に描かれていたのであろう。私はそう考える。

問題は、日本テレビである。

正力亡きあとに、〝正力コンツェルン〟から、脱落し、あるいは離反するものは、日本テレビに違いない。

新聞という企業は、不思議な近代企業である。新聞のすみずみにまで、あらゆる〝現代科学の粋〟がとり入れられ、織りこまれていながら、それを造る人々の中には〝非現代的〟なあらゆる

ものが巣喰っているのである。

毎日のある記者がいう。「朝日には〝大朝日意識〟がある。読売は〝読売精神〟というでしょう。だが、毎日には何もない」と。

この言葉と、日テレ局員のいう「日テレには〝伝説〟がない」という言葉とを考え合わせるとき「新聞」という奇妙な近代企業の、不可思議な体質が暗示されるのである。現実に朝日新聞百年の王座を支えてきたものは、〝大朝日意識〟であったし、読売五十年の躍進を可能ならしめたものは、〝読売精神〟でもあった。そして、毎日が東京日々新聞以来の有楽町の古いビルをすてて、〝伝説〟を断絶させた時からの斜陽ぶりが、それを事実として示しているのだ。

朝日と読売という、超巨大紙の角逐は、実にこの〝非現代的〟な人間模様の闘い、とでもいい得よう。

〝伝説〟と〝神話〟との闘い——果して、六百万の大台に早くのるのは、朝日であろうか、読売であろうか。