最後の事件記者 p.120-121 〝偽装〟して〝地下潜入〟せよ

最後の事件記者 p.120-121 少佐の話をホン訳すれば、アクチヴであってはいけない、日和見分子であり、ある時には反動分子にもなれということだ。
最後の事件記者 p.120-121 少佐の話をホン訳すれば、アクチヴであってはいけない、日和見分子であり、ある時には反動分子にもなれということだ。

偽装して地下潜入せよ

それから一カ月ほどして、ペトロフ少佐のもとに、再び呼び出された。当時シベリアの政治運動は、「日本新聞」の指導で、やや消極的な「友の会」運動から、「民主グループ」という、積極的な動きに変りつつある時だった。

ペトロフ少佐は、民主グループ運動についての私の見解や、共産主義とソ連、およびソ連人への感想などを質問した。結論として、その日の少佐は、「民主運動の幹部になってはいけない。ただメンバーとして参加するのは構わないが、積極的であってはいけない」といった。

この時は、もう一人通訳の将校がいて、あの中佐はいなかった。私はこの話を聞いて、いよいよオカシナことだと感じたのだ。少佐の話をホン訳すれば、アクチヴであってはいけない、日和見分子であり、ある時には反動分子にもなれということだ。

政治部将校であり、収容所の思想係将校の少佐の言葉としては、全く逆のことではないか。それをさらにホン訳すれば、〝偽装〟して、〝地下潜入〟せよ、ということになるではないか。

この日の最後に、前と同じような注意を与えられた時、私は決定的に〝偽装〟を命ぜられた、という感を深くしたのである。私の身体には、早くも〝幻のヴェール〟が、イヤ、そんなロマンチックなものではなく、女郎グモの毒糸が投げられはじめていたのである。

そして、いよいよ三回目が今夜だ。「ハヤクウ、ハヤクウ」と、歩哨がせき立てるのに、「ウーン、今すぐ」と答えながら、二段ベッドからとびおりて、毛布の上にかけていたシューバー(毛皮外套)を着る。靴をはく。帽子をかむる。

――何かがはじまるンだ。

忙しい身仕度が私を興奮させた。

――まさか、内地帰還?

ニセの呼び出し、地下潜行——そんな感じがフト、頭をよぎった。吹きつける風に息をつめたまま、歩哨と一しょに飛ぶように衛兵所を走り抜け、一気に司令部の玄関に駈けこんだ。

廊下を右に折れて、突き当りの、一番奥まった部屋の前に立った歩哨は、一瞬緊張した顔付きで、服装を正してからコツコツとノックした。

『モージ!』(宜しい)

重い大きな扉をあけて、ペーチカでほど良くあたためられた部屋に一歩踏みこむと、何か鋭い空気が、サッと私を襲ってきた。私は曇ってしまって、何も見えない眼鏡のまま、正面に向って挙手の敬礼をした。