読売梁山泊の記者たち p.174-175 「対ソ情報」プロフェッショナル・バカ

読売梁山泊の記者たち p.174-175 ロシア語の教育を、軍隊で受けた今村は、本来ならば、国学院大なのだから、どこかの神主にでも納まるべき人物。それが、戦前は日本の仮想敵ソ連の諜報、戦後は、米国と日本治安当局のためのアナリスト…。
読売梁山泊の記者たち p.174-175 ロシア語の教育を、軍隊で受けた今村は、本来ならば、国学院大なのだから、どこかの神主にでも納まるべき人物。それが、戦前は日本の仮想敵ソ連の諜報、戦後は、米国と日本治安当局のためのアナリスト…。

哈爾浜(ハルビン)、小上海と呼ばれる、エキゾチックな街である。ロシア革命以後、亡命した白系

露人が多く住んでいた。そして、黒竜江をはさんで、中国側が愛輝、ソ連領がブラゴベシチェンスク、とある。愛輝とは、黒河という町で、地図にも、カッコつきで、示されている。

この黒河こそ、対ソ諜報の最前線で、対岸のブラゴベシチェンスクとの、奇妙な往来の基地だった。今村は、ハルビン特務機関からこの黒河に派遣されていた。

スパイというのは、世界各国ともに、おおむね三段階に分かれている。つまり、最先端にいるのが、インベスチゲーション(捜査)である。それを、操縦(指揮)するのが、インタルゲーション(情報収集)で、そこに集められた情報は、アナリスト(解析)の許で総合判断されるのである。

黒河の町の西のはずれに、神社がある。そのそばに、「工作家屋」と呼ばれる建物があった。人相、年齢、氏名を、対岸のブラゴベシチェンスクのエヌカーに通告した、満人の諜者(インベスチゲーション)が、二、三名は、常に待機している。

彼らは、定期的に、定められたコースで、対岸のブラゴエに渡り、ソ連側の工作家屋に行く。そこで、携行してきた、日本側の情報を渡し、さらにまた、こちらの要求する、ソ連側の情報をもらってくるのが、役目だ。

その次には、同じような、ソ連側の諜者が舟を出して、黒河の東のはずれ、海蘭公園のあたりに上陸する。

そこから、河岸沿いに町を横切り、西郊の工作家屋にやってくる。同様に、情報を提供し、かつ、要求する。

この組織は、定められた諜者と、定められたコースにだけ、憲兵と国境警備隊とが、たがいに、治外法権を認め合っている。

相手方に対する質問の仕方と、その質問に対する返事の仕方によって情報を得る——もちろん、それは相手方の諜者も我が方の諜者も、同様である。

そこが、双方のインタルゲーション(工作主任)の、チエと頭脳の闘いなのである。つまり、諜者は、堂々とブラゴエの町を歩き、ソ連人の生活を目撃して、それを、記憶として持ち帰ってきている。

それを、インタルゲーションは、必要なものを、記憶の中から引き出すのである。今村は、この仕事をやっていた。そして、工作主任として得た情報、ブラゴエで見聞してきたもののうち、日本という国家が必要としているものを、彼自身の頭脳というフィルターを通して、ハルビン特機に送る。

ハルビンでは、それらを集めて、アナリストが、解析し、判断する。「敵の手で敵を斃す」というのが、諜報謀略の原則である。

ロシア語の教育を、軍隊で受けた今村は、本来ならば、国学院大なのだから、どこかの神主にでも納まるべき人物。それが、戦前は日本の仮想敵ソ連の諜報、戦後は、米国と日本治安当局のためのアナリスト…。

戦争が、今村の運命を大きく変えてしまったのである。彼は、もはや〝不具者〟であった。「対ソ情報」以外では、常識的な社会人としては、通用しなくなっていたのだ。プロフェッショナル・バカだったのだ。