昭和四十一年元旦付で、「法学博士、渡辺銕蔵」なる署名の、「朝日新聞の反省を求める国民運動の提唱」と題するビラがある。渡辺博士とは、かの有名な東宝争議のさいの社長で、反共陣営の長老であることはいうまでもない。このビラを引用すれば、左翼偏向の〝世評〟なるものが明らかになろう。
「——朝日は、戦後日本共産党の再建に努力し、極力社会党の発展を支持し、今や中共と協力して日本に社会主義革命を実現せんとする日本社会党と表裏一体となって、容共反米の編集方針を強化し、将に日本を共産国に売らんとしている。
朝日は、常に日本の警察と自衛組織に反対し、あるいはこれを冷罵し、全力を尽して警職法の改正を抹殺し、昭和三十五年の安保改訂に当っては、猛烈なる煽動記事によって、あらゆる共産党、社会党の外廓団体を動員して、内乱的大騒擾を起さしめ、遂に岸内閣を倒壊せしめた。
——昭和三十九年以来、社内に内紛を生じていたが、その結果、四十年より現経営陣が権力を奪取したのである。朝日には二百五十名の共産党員がおるといわれている。この経営陣の交代以来、容共反米の態度はますます露骨となり執拗となってきた。——以上述べてきたことによって、朝日は新聞の第一の任務である『公正なる報道を行わず』『みだりに偏向せる意図をもって政治に干渉し』、常に政府に反抗する『国家破壊行為を助勢しあるいは煽動』しておる。
この故に国民は、この事態に目ざめて、この邪悪なる朝日新聞に対して、全国的に購読、広告、金融、販売取扱いを停止する等、膺懲の国民的の戦いを起すことが目下の急務である。——現状のままで放置すれば、偏向と風俗破壊のはなはだしい日本のマスコミが、共産国の資金によって、ますます完全に支配されるようになるであろう」
この〝檄文〟から、三年以上を経た現在、渡辺博士の〝憂国の至情〟が何と皮相なものであったか明らかとなった。いうなれば、〝老いの繰り言〟であった。日本社会党の衰退は、御存知の通りであるし、全国的なボイコットのよびかけに反して、朝日は着実に販売部数をのばし、広告主はひしめき、金融筋も不安を消し、販売店主はホクホクである。
渡辺博士の僚友に、帝都日々新聞の社主であった野依秀市老(故人)がおり、その主宰する帝日紙上で、朝日の糾弾を続けてきたのであったが、「偏向せる日本のマスコミが共産圏の資金で支配」されるどころか、特に朝日においては、いよいよ資本主義的発展を遂げているのである。
これらの老人たちが、怒れば怒るほど、朝日の部数はのびる。つまり、彼らの〝非難〟が時代錯誤であるからだ。いうなれば、逆効果であったのである。
朝日の露骨な〝左翼偏向〟紙面とは、時流にコビた商業主義であることをみ抜けば、それなりの〝攻撃・糾弾〟の途があったのに、ユーモアのない老人が真顔でイキリ立つものだから、まと もな「朝日批判」が消されてしまうのであった。