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正力松太郎の死の後にくるもの p.004-005 目次6~7 1章トビラ

正力松太郎の死の後にくるもの p.004-005 目次つづき 1章トビラ 1 正力さんと私(はじめに……)
正力松太郎の死の後にくるもの p.004-005 目次つづき 1章トビラ 1 正力さんと私(はじめに……)

6 朝日・毎日の神話喪失

朝日記者は〝詫び〟ないで〝叱る〟/朝日の紙面は信じられない/司法記者の聖域〝特捜 部〟/新聞代の小刻み値上/宅配は必らず崩れる/朝日はアカくない/振り子はもどる朝 日ジャーナル/銀行借入金、ついに百億突破/東京拮抗の毎日人事閥/〝外報の毎日〟はどこへ/はたまた〝外報〟の朝日か

7 ポスト・ショーリキ

「武を……」という遺言/報知、日本テレ、タワーが駄目……/大正力の中の〝父親〟/〝マスコミとしての新聞〟とは

あとがき

1章トビラ 正力松太郎の死の後にくるもの

1 正力さんと私(はじめに……)

正力松太郎の死の後にくるもの p.252-253 人事派閥の暗闘から生れたキャンペーン記事

正力松太郎の死の後にくるもの p.252-253 伊藤は何かヒットを打たねばと焦る。そのあげくにでてきたのが、ロケット、軍研究費、六人の刑事など、一連のゴリ押しキャンペーン。もともと、それだけの器量のない人物が、部長の職につくのは、敵にならないから安心なのだ。
正力松太郎の死の後にくるもの p.252-253 伊藤は何かヒットを打たねばと焦る。そのあげくにでてきたのが、ロケット、軍研究費、六人の刑事など、一連のゴリ押しキャンペーン。もともと、それだけの器量のない人物が、部長の職につくのは、敵にならないから安心なのだ。

一部の読者は、「六人の刑事」キャンペーンを目し、朝日新聞の反権力闘争の一環として理解

しているようである。つまり、「警察不信」を宣伝する紙面が、意識的に(シロをクロとまではいわないにしても、訂正も取り消しもしない点)作られていることから、編集幹部の指揮のもとに、一定の方針にもとづいている〝反権力、反体制〟紙面だとうけとられているのである。

だが、私の見解は違う。「声」欄の高松喜八郎が、美術記者出身で、学芸部二十年。次長十年、部長三年の経歴をもっていて、なおもあのような〝無責任、的はずれ〟の弁解を活字にする人物である。伊藤牧夫は昭和二十四年入社、「八宝亭殺人事件」をはじめ、売春汚職などで活躍した、経歴十分の社会部記者で、その人柄からいっても、反体制紙面作りを意識できる男ではない。

元朝日社会部記者の佐藤信が、単純明快にこう〝解説〟する。

「伊藤は、例の九十六時間ストで、スト破りをやった男だ。それで、会社側、広岡社長の線に認められた。ところが、田代編集局長は広岡系列ではなく、田代局長は社会部長に、自分の子分の京都の岩井弘安支局長をもってこようとしている。伊藤社会部長としては直接上司の編集局長によって、部長の地位をおびやかされているワケだ。そのため、伊藤は何かヒットを打たねばと焦る。そのあげくにでてきたのが、ロケット、軍研究費、六人の刑事など、一連のゴリ押しキャンペーンである。もともと、それだけの器量のない人物が、部長の職につくのは、局長以上にとって敵にならないから安心なのだ。要するに、読者が理解できないというのは、人事派閥の暗闘という、新聞の次元でないところから生れた、キャンペーン記事だからサ」

佐藤の〝解説〟が正鵠を得ているかどうかは別として、伊藤牧夫は〝責任〟をとるどころか、西部とはいえ「局次長」に栄転していった。

司法記者の聖域〝特捜部〟

「何か書かねば——。何かやらねば——」といった、〝追いつめられた記者心理〟の好適例は、さる昭和二十五年九月二十七日の、「伊藤律架空会見記」という大虚報である。朝日の神戸支局員が、マ元帥政令による日共九幹部の追放で地下潜行中の伊藤律と、宝塚山中で会見したという、特ダネをモノした。ところが、その記事をよく読んでみるといろいろ疑点がでてきたわけだ。こうして、三日後には「ねつ造記事と判明、全文取消し陳謝」という社告となる。さすがにこの時は、編集局長にいたるまで、責任を問われたのであったが、原因は、海運記者から警察に配置換えになって抜かれっぱなし、何かヒットをということであったし、「職業と〝朝日〟の重みに押しつぶされたんだ」(当時大阪学芸部記者の作家・藤井重夫=週刊文春40・10・18)といわれる。

このような実例をもち出すまでもないが、社会部記者として十五年の経歴をもつ私にしてみて

も、佐藤の〝解説〟が、一番うなずけるのである。それ以外、どんな〝説〟も、やはり納得ができない。「六人の刑事」キャンペーンは、前述の〝佐藤解説〟で、それではじめて理解される。

正力松太郎の死の後にくるもの p.254-255 このイヤらしい美文

正力松太郎の死の後にくるもの p.254-255 司法記者クラブだけは、東京地検べったりにならざるを得ない。地検には特捜部があるからである。朝日社会部記者で同クラブに所属している野村二郎が本質的に権力側についていると判断される名文句を拾ってみようか。
正力松太郎の死の後にくるもの p.254-255 司法記者クラブだけは、東京地検べったりにならざるを得ない。地検には特捜部があるからである。朝日社会部記者で同クラブに所属している野村二郎が本質的に権力側についていると判断される名文句を拾ってみようか。

このような実例をもち出すまでもないが、社会部記者として十五年の経歴をもつ私にしてみて

も、佐藤の〝解説〟が、一番うなずけるのである。それ以外、どんな〝説〟も、やはり納得ができない。「六人の刑事」キャンペーンは、前述の〝佐藤解説〟で、それではじめて理解される。

ここでまた、私は考える。朝日記者の反権力、反体制意識は、ホンモノだろうか、と。

昨四十三年秋、井本総長会食事件というのが起った。小さな経済誌とアカハタ紙との同時発表のスクープである。その件についての、井本検事総長の記者会見が行なわれ、一般紙は九月三日付朝刊から報道しはじめた。この時の三紙の報道ぶりをみると、朝、読が地検特捜部べったりの大扱いだったが、毎日だけは、そのスクープのされ方に疑問を感じたらしく、第二トップという地味な扱い方をして、記事中にも「検事総長、池田代議士らをはじめ、関係者が語る〝事実〟は——」と事実に〝 〟をつけている。

司法記者クラブ。検察庁担当のこの記者クラブは、警視庁クラブと並んで、事件担当の社会部の重要クラブである。他の記者クラブ(警視庁クラブも含めて)が、その担当官庁に対して、反権力的な自由な批判が可能なのに比べて、司法クラブだけは、東京地検べったりにならざるを得ない。地検には特捜部があるからである。

東京地検特捜部のあり方について、外部では極めて批判が多い。記者たちにも、その感があるであろう。しかし、ここでは地検特捜部を批判することはできない。事件がはじまった時、その記者と所属社は、特捜部で何も取材できなくなってしまうからである。

スポークスマンである次席検事の発表だけでは、大事件の時に紙面は埋らない。どうしても検事の自宅訪問をやらねば、ネタは拾えないのである。そして、検事たちは、国家公務員法第百条、秘密を守る義務に違反して、記者たちに捜査の進行を教える。これは、厳密な意味で違反であるが、国民の「知る権利」の代理行使である「公正なる報道」によって、黙認される慣行となっている。

だから、司法記者たちは、どうしても、検察権力に密着せざるを得ない。朝日とて同様である。朝日社会部記者で、同クラブに所属している野村二郎が、「財界」誌(43・5・15)に、特別読物「東京地検特捜部」を書いている。クラブ記者だから、検察権力に密着せざるを得ない実情はわかるのだが、彼のこの一文は、彼が本質的に権力側についていると判断されるのだ。いくつかの名文句を拾ってみようか。練習生ではないがキャップだ。

「検察えりぬきの三十二人の検事たち。平均年齢三十七、八歳。その頭脳と熱情は日本の正義を守る最後のトリデ、とも評されようか——」「起訴金額全部がワイロと認定されたことは、捜査技術の向上と高く評価されている」「いずれも力倆、識見ともにすぐれたひとかどの人物」「すばやい頭脳の回転、適格な判断力(傍点筆者)、論理的思考力、細心かつ大胆——である。鼻すじの通った整った顔つきで、ちょっとした二枚目。長身のタイプは外国商社マンといった感じだ」「こうした措置は疑点はあくまで糾明し、中途半端な妥協を排し、真実を徹底的に追及する特捜

部の厳しい態度のひとつ」

ゴマ油つきのラーメンの袋をみると、〝ゴマスリ〟の語源が書かれている。潤滑油をつくることから、ゴマスリが必要であったらしいが、その限りでは、このイヤらしい美文は、傲岸な検事たちをよろこばせ、その目的を達するであろう。

正力松太郎の死の後にくるもの p.256-257 今や〝商魂〟の朝日新聞

正力松太郎の死の後にくるもの p.256-257 これらの人びとが、朝日記者のすべてではない。だが、どこに〝戦う左翼偏向記者〟の姿があるだろうか。あるものといえば、「それがウケるから」という、単純な商売の原則による、新聞づくりの姿ではないか。
正力松太郎の死の後にくるもの p.256-257 これらの人びとが、朝日記者のすべてではない。だが、どこに〝戦う左翼偏向記者〟の姿があるだろうか。あるものといえば、「それがウケるから」という、単純な商売の原則による、新聞づくりの姿ではないか。

「検察えりぬきの三十二人の検事たち。平均年齢三十七、八歳。その頭脳と熱情は日本の正義を守る最後のトリデ、とも評されようか——」「起訴金額全部がワイロと認定されたことは、捜査技術の向上と高く評価されている」「いずれも力倆、識見ともにすぐれたひとかどの人物」「すばやい頭脳の回転、適格な判断力(傍点筆者)、論理的思考力、細心かつ大胆——である。鼻すじの通った整った顔つきで、ちょっとした二枚目。長身のタイプは外国商社マンといった感じだ」「こうした措置は疑点はあくまで糾明し、中途半端な妥協を排し、真実を徹底的に追及する特捜

部の厳しい態度のひとつ」

ゴマ油つきのラーメンの袋をみると、〝ゴマスリ〟の語源が書かれている。潤滑油をつくることから、ゴマスリが必要であったらしいが、その限りでは、このイヤらしい美文は、傲岸な検事たちをよろこばせ、その目的を達するであろう。

しかし、「捜査はあらゆる面の完ぺきさをもってしめくくるという。このため、特捜部の取扱った事件の首脳会議がもめることは、ほとんどないという」(数カ月後の日通事件・池田代議士のケースで、そのほとんどないことが起った)「しかし、解説と証拠は別の性質のものといえよう」ときて、最後に井本総長の訓辞でしめくくられる、——これは、新聞記者、ことに司法記者の文章ではない。

批判が全く失われているものに、やはり社会部の央(なかば)忠邦の「創価学会激動の七年」(財界誌に連載後、有紀書房より発行)がある。これも、引用するまでもなく、学会という〝権力〟べったりの叙述である。慶大卒、NHKから朝日に転じてきた記者である。

ついでながら、もう一つ加えれば、扇谷正造の停年退職にさいして、後輩に与うるの書の中にも(文春本誌43・5)「私は朝日新聞に編集局練習生として入ってきた」(傍点筆者)の一行がある。

今、朝日新聞を作っている人々、そしてこれから、朝日を荷なう人たちの、ある側面をとりあげてみた。もちろん、ここに述べたことが、名前をあげた人たちのすべてではなく、これらの人

びとが、朝日記者のすべてではない。だが、どこに〝戦う左翼偏向記者〟の姿があるだろうか。

あるものといえば、「それがウケるから、ウケて売れるから」という、単純な商売の原則による、新聞づくりの姿ではないか。

クオリティ・ペーパーといい、オピニオン・リーダーを自任した、かつての村山竜平の〝芸術〟は、どこに消え失せたのであろう。

竜平亡きあと、士魂商才はいつの間にか、〝商魂士才〟となり、さらに〝士才〟が失われて、今や〝商魂〟の朝日新聞がある。

米上院での〝朝・毎アカ証言〟によると、朝日新聞は共産主義者の巣窟であるかの如く思われる。そして、その紙面は左翼偏向であると、一部の人々に信じこまれている。

ある公安関係当局の調査によれば、朝日の共産党員は十四名である。私が、その名簿で当ってみると、工場と編集に大別して、半々で、しかも、編集関係の職場でいえば、新聞制作に直接タッチしない部(注。朝日のケースとしてではなく、記事審査=自社の記事を他社のそれと比較して、批評する係、調査など)に所属しているのだ。

ということは、朝日の紙面制作には、すくなくとも、政府機関である公安当局の調査による共産党員はいない、ということである。すると、いうところの、朝日の左翼偏向紙面、反米的紙面というのは、一体どういうことなのであろうか。

正力松太郎の死の後にくるもの p.258-259 朝日新聞の反省を求める国民運動

正力松太郎の死の後にくるもの p.258-259 朝日の露骨な〝左翼偏向〟紙面とは、時流にコビた商業主義であることをみ抜けば、それなりの〝攻撃・糾弾〟の途があったのに、ユーモアのない老人が真顔でイキリ立つものだから
正力松太郎の死の後にくるもの p.258-259 朝日の露骨な〝左翼偏向〟紙面とは、時流にコビた商業主義であることをみ抜けば、それなりの〝攻撃・糾弾〟の途があったのに、ユーモアのない老人が真顔でイキリ立つものだから

昭和四十一年元旦付で、「法学博士、渡辺銕蔵」なる署名の、「朝日新聞の反省を求める国民運動の提唱」と題するビラがある。渡辺博士とは、かの有名な東宝争議のさいの社長で、反共陣営の長老であることはいうまでもない。このビラを引用すれば、左翼偏向の〝世評〟なるものが明らかになろう。

「——朝日は、戦後日本共産党の再建に努力し、極力社会党の発展を支持し、今や中共と協力して日本に社会主義革命を実現せんとする日本社会党と表裏一体となって、容共反米の編集方針を強化し、将に日本を共産国に売らんとしている。

朝日は、常に日本の警察と自衛組織に反対し、あるいはこれを冷罵し、全力を尽して警職法の改正を抹殺し、昭和三十五年の安保改訂に当っては、猛烈なる煽動記事によって、あらゆる共産党、社会党の外廓団体を動員して、内乱的大騒擾を起さしめ、遂に岸内閣を倒壊せしめた。

——昭和三十九年以来、社内に内紛を生じていたが、その結果、四十年より現経営陣が権力を奪取したのである。朝日には二百五十名の共産党員がおるといわれている。この経営陣の交代以来、容共反米の態度はますます露骨となり執拗となってきた。——以上述べてきたことによって、朝日は新聞の第一の任務である『公正なる報道を行わず』『みだりに偏向せる意図をもって政治に干渉し』、常に政府に反抗する『国家破壊行為を助勢しあるいは煽動』しておる。

この故に国民は、この事態に目ざめて、この邪悪なる朝日新聞に対して、全国的に購読、広告、金融、販売取扱いを停止する等、膺懲の国民的の戦いを起すことが目下の急務である。——現状のままで放置すれば、偏向と風俗破壊のはなはだしい日本のマスコミが、共産国の資金によって、ますます完全に支配されるようになるであろう」

この〝檄文〟から、三年以上を経た現在、渡辺博士の〝憂国の至情〟が何と皮相なものであったか明らかとなった。いうなれば、〝老いの繰り言〟であった。日本社会党の衰退は、御存知の通りであるし、全国的なボイコットのよびかけに反して、朝日は着実に販売部数をのばし、広告主はひしめき、金融筋も不安を消し、販売店主はホクホクである。

渡辺博士の僚友に、帝都日々新聞の社主であった野依秀市老(故人)がおり、その主宰する帝日紙上で、朝日の糾弾を続けてきたのであったが、「偏向せる日本のマスコミが共産圏の資金で支配」されるどころか、特に朝日においては、いよいよ資本主義的発展を遂げているのである。

これらの老人たちが、怒れば怒るほど、朝日の部数はのびる。つまり、彼らの〝非難〟が時代錯誤であるからだ。いうなれば、逆効果であったのである。

朝日の露骨な〝左翼偏向〟紙面とは、時流にコビた商業主義であることをみ抜けば、それなりの〝攻撃・糾弾〟の途があったのに、ユーモアのない老人が真顔でイキリ立つものだから、まと もな「朝日批判」が消されてしまうのであった。

正力松太郎の死の後にくるもの p.260-261 才能にプラスする資金(取材費)

正力松太郎の死の後にくるもの p.260-261 つまり、最近の企画は、才能プラス資金という、絶対条件を前提としている。例えば、「昭和史の天皇」。金に糸目をつけず、日本国中に記者を派して、埋れた〝目撃者〟を発掘してきているから、そのスケールの面白さが先立つのである。
正力松太郎の死の後にくるもの p.260-261 つまり、最近の企画は、才能プラス資金という、絶対条件を前提としている。例えば、「昭和史の天皇」。金に糸目をつけず、日本国中に記者を派して、埋れた〝目撃者〟を発掘してきているから、そのスケールの面白さが先立つのである。

朝日の露骨な〝左翼偏向〟紙面とは、時流にコビた商業主義であることをみ抜けば、それなりの〝攻撃・糾弾〟の途があったのに、ユーモアのない老人が真顔でイキリ立つものだから、まと

もな「朝日批判」が消されてしまうのであった。朝日の紙面に眉をひそめる知識人たちも、声を大にすれば、渡辺・野依輩の亜流にランクされることを恐れた。だから、沈黙のまま購読を中止する程度の〝批判〟しかできなくなってしまうのである。

読売の「東風西風」欄で桶谷繁雄が「反・体制屋」について、「ところが、日本は逆で、そういうのが、カッコイイことになる——。」と、書いている。それは前述したが、渡辺、野依御両所には、この〝カッコよさ〟が理解できないのである。事実、朝日は反体制、反権力という、カッコイイセールス・ポイントを、ポーズとしてもっている。

「昭和三十年、戦後期に入った日本人に、科学とフロンティア魂をふるいおこさせようと、二億円近い社費を使わせて、宗谷をプリンス・ハラルド海岸に送ったものの、接岸点発見と、昭和基地ができるまでの四週間、眠れぬ夜をすごしたこと——」

二十七年間勤めて、ヒラ企画部員(ただし部長待遇)のまま定年退職した、社会部出身の矢田喜美雄記者の、挨拶状の一節である。

さて、この挨拶状の中の問題点は、「……二億円近い社費を使わせて……」にある。もちろん、矢田個人が使ったわけではない。この企画にそれだけの経費を注ぎこんだということである。昭和三十年、十四年前の二億円である。さすがに、朝日ならではの〝壮挙〟ではある。

だが、このことは、一体、何を意味しているのだろうか。新聞を批判するときに、十分に考え

てみる値打ちのあることではないか。

朝日の紙面企画を想い出してみよう。かつて、昭和二十年代に、「人物天気図」などの好読物の続きものがヒットしたのだが、最近では、本多・藤木コンビの「エスキモー」であり、「ニューギニア」「ベトナム」である。(葉)署名の「人物天気図」は、あくまで、個人プレイである。(葉)の才能を、朝日が引き出して〝利用〟したのである。(葉)の才能は、必ずしも、朝日の紙面であることを必要とはしない。ところが、本多・藤木の才能は、やはり朝日であることを必要とするのである。

例えば、このコンビがサンケイの記者であったならば、あの面白いルポは生れない。少くとも、「エスキモー」は書かれなかったであろう。「人物天気図」は活字になったとしても……。

つまり、最近の企画は、才能プラス資金という、絶対条件を前提としている。例えば、読売が連載中に菊池寛賞をうけた、「昭和史の天皇」の筆者、辻本芳雄前社会部長が好適例である。

この、読売の誇る〝続きもの〟デスクの過去はどうだろうか。「東京租界」「朝眼がさめたらこうなっていた」「日本のムコ殿」など、多くの優れた〝続きもの〟を生んでいるのだが、必ずしもヒットしなかった。(葉)と同じである。彼の才能にプラスする資金(取材費)が、少なかったからである。ところが、「昭和史の天皇」になると、六、七名のスタッフを組んで、それこそ金に糸目をつけず、日本国中に記者を派して、埋れた〝目撃者〟を発掘してきているから、その

スケールの面白さが先立つのである。

正力松太郎の死の後にくるもの p.262-263 偏向紙面をつくれば朝日は伸びてゆく

正力松太郎の死の後にくるもの p.262-263 何が左翼偏向、何が進歩的であろうか——この巨大化した、資本主義の権化のような「朝日新聞経営体」。口先民主主義者たちの〝欲求不満〟を、美事に組織したのが、いわゆる〝左翼偏向〟紙面の朝日新聞なのである。
正力松太郎の死の後にくるもの p.262-263 何が左翼偏向、何が進歩的であろうか——この巨大化した、資本主義の権化のような「朝日新聞経営体」。口先民主主義者たちの〝欲求不満〟を、美事に組織したのが、いわゆる〝左翼偏向〟紙面の朝日新聞なのである。

この、読売の誇る〝続きもの〟デスクの過去はどうだろうか。「東京租界」「朝眼がさめたらこうなっていた」「日本のムコ殿」など、多くの優れた〝続きもの〟を生んでいるのだが、必ずしもヒットしなかった。(葉)と同じである。彼の才能にプラスする資金(取材費)が、少なかったからである。ところが、「昭和史の天皇」になると、六、七名のスタッフを組んで、それこそ金に糸目をつけず、日本国中に記者を派して、埋れた〝目撃者〟を発掘してきているから、その

スケールの面白さが先立つのである。

エスキモーも、ニューギニアも同様であることは確かである。そして、その取材費のかけ方は、「昭和史の天皇」をしのぐものであることも確かであろう。このことは、新聞の資本主義的集中化が、いよいよ進み、われわれの既成概念からする「新聞」とは、全く別個の、全く異質の、新しいマスコミ産業である「新聞」が、生れ出ようとしていることを物語っている。

つまり、金がなければ、何もできないのである。金があれば、他社のやれないことがやれるのである。他社のやれないことがやれるから、売れるのであり、売れるから金が動かせるのである。その極端な例が朝日新聞の現実である。

この時、何が左翼偏向であろうか、何が進歩的であろうか——朝日の紙面について、云々する時に、この巨大化した、資本主義の権化のような、「朝日新聞経営体」を見逃してはいけない。

新宿の街角を肩で組み、腰を抱き、頬を寄せあって歩くアベックの顔をみてみたまえ、服装のセンスをみてみたまえ。これすべて、醜男と醜女のカッペである。——本当の美男美女は、もっと、その美しさに誇りをもっている。

グループ・サウンズなる連中の顔を、芸能週刊誌のカラー・グラビヤでみつめてみたまえ。あの異様な長髪は、これすべて、下品で野卑な顔だちのカモフラージュである。あのような、異様な風体をしなければ、正視にたえない顔である。G・Sでも、カワイコちゃんたちは、まともな

髪形をしているではないか。

梶山季之、北原武夫、川上宗薫らの猥雑で下劣で、春本そのものの〝小説〟を読み耽っているのは、中年男を中心とした、若い娘たちに存在を無視される男たちである。——プレイ・ボーイやドン・ファンたちは、あんなものを読むよりも、実践活動に忙しい。

ストリップやヌード・スタジオ、果ては、トルコ風呂の客たちは学校の先生、役人、銀行員といった、カタイ職業の連中が多いのはもはや定説である。

ことほどさように、今日ほど〝慢性欲求不満〟が、世をおおうている時代はあるまい。この時、朝日の幹部たちは、それらの風潮をみてとって、あの〝紙面〟を、意識的に作り出しているのである。

マイ・ホームとレジャーとギャンブルとによって、腑抜けの呆助となり果て、自らはゲバ棒一本握る行動力ももてない、口先民主主義者たちの〝欲求不満〟を、美事に組織したのが、いわゆる〝左翼偏向〟紙面の朝日新聞なのである。

自らは、血の一滴も流さずに、「ベトナムに平和を!」と叫ぶ〝職業的〟平和運動者たちと、全く軌を一にして、「嫉視、反発、陰謀、抗争、謀略、憎み合い」(細川隆元)の渦巻く中で、挑発的偏向紙面をつくれば、ベトナムに平和を! と唱和する〝愚民〟たちが、ふえてゆくのと同様に、朝日の発行部数は伸びてゆくのである。