読売梁山泊の記者たち p.288-289 偶然にも旭川署の動きを見ることになった

読売梁山泊の記者たち p.288-289 その瞬間、私の背筋を電流が走り抜けたような、衝撃に打たれた。「安藤組犯人、旭川に潜伏か?」という、見出しのついた原稿だった。——小笠原のことだ! むさぼるように、その短い原稿を、めくりはじめた。
読売梁山泊の記者たち p.288-289 その瞬間、私の背筋を電流が走り抜けたような、衝撃に打たれた。「安藤組犯人、旭川に潜伏か?」という、見出しのついた原稿だった。——小笠原のことだ! むさぼるように、その短い原稿を、めくりはじめた。

手紙の封筒のウラの、差出人の住所部分を財布に入れて、持っていたのである。刑事たちは、いぶかった。

「安藤組で、旭川市に土地カンのある奴はいない。山口二郎なんてのも、知らんな」

花田のカミさんが、刑事の質問に、どう答えたかは、私は知らない。もとより、カミさんの供述を、そのまま、ウ呑みにするハズはありはしない。私の推理では、小笠原が、花田に金でも送ってくれ、と手紙を書き、花田はカミさんにいいつけた。それで、送金のため、住所を残していた…?

北海道警察本部に手配が行き、この「山口二郎」なる人物が、何者であるかの捜査が始められた。

その日は日曜日で、私は、久し振りにくつろいで、自宅にいた。と、司法クラブの寿里記者から、電話があった。

「月曜日の朝、通産省の役人のサンズイ(汚職、汚の字がサンズイだから、こういう)で地検がガサをかけるんです。それほど、大きなヤマ(事件)ではないんですが、原稿、どうしましょう?」

「小さなサンズイなんか、どうせ、ベタ(一段の小さい記事)だろうけど、オレも晩飯を喰ったら、社へ出るから、その時に打ち合わせしよう」

久しぶりに、家族四人揃っての夕食ののち私は、車を呼んで出社した。日曜日の夜の編集局は、いつものような活気がない。ニュースが少ないからである。

寿里も、お茶を飲みに出たというので、私は、空いてるデスク(次長席)に坐ってなに気なく、机上の原稿に、目を落とした。少し前に、地方連絡が置いていった、北海道発の記事である。

その瞬間、私の背筋を電流が走り抜けたような、衝撃に打たれた。

「安藤組犯人、旭川に潜伏か?」という、見出しのついた原稿だった。

——小笠原のことだ!

むさぼるように、その短い原稿を、めくりはじめた。

偶然にも、日曜日の夜、翌朝の、地検のガサ入れの打ち合わせに出社して、私は旭川署の動きを報じてきた、旭川支局発の原稿を見ることになってしまった。

手短かに、寿里記者との打ち合わせを済ましたのち、婦人部長の長谷川実雄(のち巨人軍代表)を訪ねて、経過を報告し、「警視庁は逮捕すると思うので、即刻、辞職したいと考えている」と、打ちあけた。

もちろん、前夜のうちに、塚原大尉にも電話して、事情を説明し、「警視庁から呼び出しがくるでしょうから、なにもかも、洗いざらい、ホントのことを話して下さい。下手すると、一泊か二泊、させられるかもしれませんけども、それ以上のことはないでしょう」と、話しておいた。

昭和三十三年七月二十一日の月曜日、私は朝早く、金久保通雄・社会部長の自宅を訪ね事情を説明して、前夜に用意した辞表を出した。部長は、警視庁の話も聞いてみよう、と一緒に刑事部長を訪ねた。当時の警視庁刑事部長は昭和十二年採用の新井裕であった。

その時、この修羅場をくぐったこともないエリート官僚は、塚原大尉に対する、私の説明を聞いて、こういい放った。

「そんなバカな! ヤクザじゃあるまいし、カタギの人間が、ワケも聞かないで、小笠原を預かった

りするもンか!」