事件記者と犯罪の間 p.198-199 主任の態度からやっと安藤だと判った

事件記者と犯罪の間 p.198-199 「オイ読売、身体は大丈夫かって声をかける奴がいるんだけど」「声をかけた奴が判ったよ。顔に傷があるんだけど、誰だい?」「何だい? オメエ知らねェのかい?」「ハハン、安藤かい?」
事件記者と犯罪の間 p.198-199 「オイ読売、身体は大丈夫かって声をかける奴がいるんだけど」「声をかけた奴が判ったよ。顔に傷があるんだけど、誰だい?」「何だい? オメエ知らねェのかい?」「ハハン、安藤かい?」

私はこの一年間、司法クラブに勤務していて売春汚職、立松事件、千葉銀行事件と、三回の大きな事件に会い、そのたびに、「検察は政党

の私兵であってはならない」と主張した。新聞の記事にできない時は、これを雑誌記事にして、或る時には、激しく検事を攻撃した。地検のある地位の検事などは、私が数年も前にその検事を攻撃した記事を書いたという理由で、私に対して決していい感情を持っていないということだ。そして彼はそのことを私の部下の記者に話している。しかし、私にはその記事の記憶がない。人違いだったら、今や被疑者になっている私には極めて不利なことだ。

〝罪を憎んで、その人を憎まず〟という古諺がある。警視庁の横井事件特捜本部の部員たち、つまり刑事たちが、私に対して〝憎しみ〟を抱いたのは当然である。彼らがあの炎天の中を汗水たらして探しもとめていた犯人を、私がかくまったというのだから、それが当然である。だが、私の調べ室に入ってきた他の調べ室の刑事たちも、決して私個人を憎みはせず、〝罪を憎んだ〟のだった。ことにその態度は、私の担当の石村主任以下二十四号室の刑事たちに良く現れていた。

従って調べ以外では、私個人に対しても、差入れに通ってくる妻に対しても、きわめて同情的であり、思いやりにみちていた。

「ネ、今朝、房内で洗面の時、オイ読売、身体は大丈夫かって、声をかける奴がいるんだけど、金網はあるしメガネはないし、誰だか判らないンだが、誰だろう」

「フフ、そんな奴がいたら、馴れ馴れしく言葉をかけるナッて、いってやれ!」

石村主任はフクちゃん漫画のキヨちゃんのような顔をして笑う。翌日、

「今朝、運動の時、声をかけた奴が判ったよ。顔に傷があるんだけど、誰だい?」

「何だい? オメエ知らねェのかい?」

「ハハン、安藤かい?」

房内には顔に傷のある男が多いので、主任の態度からやっと安藤だと判った。拘留訊問の時に志賀も千葉と一緒になったが、顔を合わせていても知らないのだから、私が彼ら一味と何の関係もないことはすぐ明らかだ。

家宅捜索では人名簿や家計簿を持ってきていた。妻がキチンとつけている家計簿は、この一年の間、不時の収入もなく、月のうち何回か現金ゼロの欄があるので、刑事たちはニヤリとした。私の引出しからは冬服やカメラの質札もあった。社の運転手たちが、「局長の家より立派だ」とほめてくれた応接間の家具類は、丸井の十カ月払いの何年間かに及ぶ領収書が出てきた。

家の増築の費用は、社の住宅資金と銀行融資である。

刑事たちはこれらの事実を克明に歩いて調べ、金銭関係は何もないことが明らかになった。バーや飲み屋のツケもあるからである。

「犯人隠避」で起訴される!

調べの進捗とともに、捜査当局が抱いた〝予断〟は全くくずれ去った。石村主任には良く了解ができたのである。だが、上の方ではまだ釈然とせず、七月末になると、木村警部が直接のり出してきた。石村主任の調べは生ヌルイし、三田にゴマ化されている、と判断したのだろう。