事件記者と犯罪の間 p.200-201 私にスパイになれと拳銃で強制した

事件記者と犯罪の間 p.200-201 ソ軍政治少佐の、それこそ〝死の恐怖の調べ〟を想い起していた。それらにくらべれば、十日か二十日も黙秘し続けることは〝軽い気持〟だ。殺される心配のないだけでも、大変な違いである。
事件記者と犯罪の間 p.200-201 ソ軍政治少佐の、それこそ〝死の恐怖の調べ〟を想い起していた。それらにくらべれば、十日か二十日も黙秘し続けることは〝軽い気持〟だ。殺される心配のないだけでも、大変な違いである。

ついに私の調べ室にも、怒鳴り声が響き出した。使う言葉こそ叮寧だが、その語調や音量などは文字にはできない。被疑者がどんなに正直に、真相を供述しても、〝捜査二課の調べ〟というのは、彼らが抱いた〝予断〟通りの調書に仕立て上げるものと覚えた。

私は「もう一言だって口を利かないぞ」と心に誓った。暑くてたまらぬ部屋に、警部の大声がはね返って、いよいよあつい。

「幻兵団事件」の時、私は約一カ月たらずに八回のトップを書いた。ところが最初の反響は、米軍のCIC呼び出しだった。田中耕作という二世中尉が調べ主任だ。

「どういう目的で書いたか? こんなことをバクロすればソ側スパイに殺されると思わないか。生命が惜しくないのか? 怖くないのか」

調べは厳しかった。私の答は簡単だ。

「書いたのは新聞記者の功名心からだ。生命は惜しくない。戦争と捕虜とで、二度も死んだはずの生命だ。新聞記者として、仕事のために死ぬのは本望だ。自分の記事のために死ぬなんて、ステキだ」

「新聞記者の功名心だって? 生命の危険を冒した功名心? 信じられない。納得できない」

このスパイ係の中尉は、私がどんなに耳よりなデータを説明していても、四時になると調べを中途でやめ、書類をスチール・ボックスに納めて、自家用のビュイックでグラントハイツの自宅へ帰ってしまう。「また明日」と。そして、今度の事件の捜査二課のように「納得できない」の

連発である。

彼の〝予断〟は、生命の危険を冒しても、こんな記事を書くはずはない。これはソ連側と了解の上、何らかの目的で(反ソ風に装ってアメリカ側に近づく)書いたに違いない、と考えていたようだ。被疑者が重大な供述を始め出していても、その口を封じて翌日に廻して、アロハで市民生活をたのしもうというスパイ捜査官には、とても〝記者の功名心〟など理解できるはずもない。

木村警部のドナリ声を聞きながら、私はこの米軍中尉の執拗な調べや、私にスパイになれと拳銃で強制したソ軍政治少佐の、それこそ〝死の恐怖の調べ〟を想い起していた。それらにくらべれば、十日か二十日も黙秘し続けることは〝軽い気持〟だ。殺される心配のないだけでも、大変な違いである。

立松の名が出たので、私は彼の話を思い出した。彼が逮捕された経験で、「黙秘する時には、そっぽを向いて、西部劇の筋書を思い出せ」と語っていた。それに倣って、映画の想い出にひたっていた。

彼はクタビれたのか、ひとしきり黙ってしまった。静かになったので、フト我に返って、「アァ、今度は口調をかえて、〝話しかけ〟でくるのだナ」と考えていると、案の定「ネェ、三田君、ようッく考えてもみなさい」と始めてきた。「そのうちに親兄弟、女房子供だゾ」と思ったら、その通りの言葉が出てきたので、下を向いたまま、腹の中で大笑いしてしまった。

満期の八月十三日が迫ってくると、三、四日続けて夜の調べがあった。ところがそれはすべて 小笠原の他の犯罪事実についてである。