事件記者と犯罪の間 p.202-203 短銃を不法所持していた小笠原を逃がしたという

事件記者と犯罪の間 p.202-203 夜の調べがあった。ところがそれはすべて小笠原の他の犯罪事実についてである。これをみて、私は小笠原の殺人未遂の共同謀議が、起訴できないのだなと感じていた。
事件記者と犯罪の間 p.202-203 夜の調べがあった。ところがそれはすべて小笠原の他の犯罪事実についてである。これをみて、私は小笠原の殺人未遂の共同謀議が、起訴できないのだなと感じていた。

満期の八月十三日が迫ってくると、三、四日続けて夜の調べがあった。ところがそれはすべて

小笠原の他の犯罪事実についてである。これをみて、私は小笠原の殺人未遂の共同謀議が、起訴できないのだなと感じていた。検事は、私に「何かほかのヤマについて聞いたろう?」と、根掘り葉掘りにきいてくる。バクチは? 傷害は? ピストルは? と丸っきりの誘導尋問である。

検事の態度が柔かくなった。雑談が入る、私をねぎらう。

「あんたも今度は得難い経験をしたネ」

「新聞記者ッて、こんなことをチョイチョイするらしいね。昔、鬼熊事件というのがあったそうだ」

調べ官が優しくなれば、被疑者には不利だという。この教えがあるけれども、やはり被疑者にとっては、優しくされれば、つい調べ官の意を迎えたくなるのは、拘禁者の当然の心理だ。

荒井検事や、木村警部の前にかしこまっている男には、二人の心があった。一人はあわれな被疑者であり、一人は、その調べを傍聴している根ッからの記者だった。

私が司法クラブにいる間に、八海事件をはじめ、二股事件、児島事件などと、無罪になったり原審差戻しになった判決が相次いで起り、「またも検察の黒星」といった見出しの記事を書いた記憶が生々しい。

それらの判決理由は、被告の供述が、強制もしくは誘導されていて任意性がなかったり、証拠が不充分だったりしたものだ。そして今、自分が被疑者となって、調べを受けてみてはじめて思い当らせられた。

私自身の立松事件の体験では、被疑者でありながらも、川口検事に受けた〝良識ある取調べ〟から、「検事の黒星」ということに、七割の疑念を持っていたのである。静岡県下の田舎警察の、捜査主任あたりでは供述を強制することもあり得るだろうが、まさか、検事までが、と思っていたのである。

被疑者となると、全く別だ。小笠原が何度も私にいっていたように、「私は事件に関係がない」という言葉が、検事の調べから、だんだんに本当らしく感じられてきた。「小笠原が起訴できないのじゃないかな」、そう思えば、ただもうひたすらに、自由がほしかった。拘留満期前に一日でも早く釈放されて、夏休みだというのに遊んでやれない子供や妻のもとに帰りたかった。

起訴されたくなかった。逮捕と拘留は覚悟していたといえ、やはり不起訴になりたかった。結婚十年、不在勝ちの記者生活をやめたのだから、当分家に落ちついて、妻子と遊んでやりたかった。一週間目には子供の夢さえ見たのだ。

だが満期の八月十三日、「犯人隠避ならびに証拠いん滅」罪で起訴された。五月二十六、七日ごろ(注、横井事件とは全く関係がない)短銃を不法所持していた小笠原を短銃不法所持の手配犯人だと承知して逃がしたというのである。また証拠いん滅というのは、小笠原を横井事件の重要な証人だと承知して逃がしたということだ。一体これはどうしたことだろう。

つまり、小笠原や私を手配したり逮捕したりしたことと、すっかり違うことなのだ。もし小笠原がピストル不法所持だけの手配犯人なら、私は会ってくれと頼まれたって会やしない。私は忙 しいのである。