事件記者と犯罪の間 p.206-207 「東京租界」では一千万ドルの損害賠償慰籍料請求がされた

事件記者と犯罪の間 p.206-207 「東京租界」の時、原部長は「名誉毀損が何十本とつきつけられてもビクともしないだけの取材をしろよ」とだけ命じた。辻本次長は「記事をツブされないように、本人会見は締切の二時間前にしろよ」これほど取材記者の感激する言葉があるだろうか。
事件記者と犯罪の間 p.206-207 「東京租界」の時、原部長は「名誉毀損が何十本とつきつけられてもビクともしないだけの取材をしろよ」とだけ命じた。辻本次長は「記事をツブされないように、本人会見は締切の二時間前にしろよ」これほど取材記者の感激する言葉があるだろうか。

「オイ、岸首相がソウカンを呼びつけたという大ニュースが、どうしてウチにはのらなかったのだい、まさか政治部まかせじゃあるまい」
と、私はきいた。
「ウン、原稿は出したのだが、それが削られているンだ。実際ニュース・センスを疑うな。削っ

た奴の……」

彼は渋い顔をして答えた。

「どうしてウチは事件の記事がのらねエンだろう。実際、立松事件の影響は凄いよ」

「イヤ、社会面は事件だというオレたちの考え方自体が、もう古いのじゃないか?」

「エ? じゃ、社会部は、婦人部や文化部や科学部の出店でいいというのか?」

私は反問した。〝社会部は事件〟と思いこんで生きてきた十五年である。それが「古い」ンだって?

立松事件の、責任者処分で、読売社会部は全く一変した。私のように入社第一日目以来の社会部生え抜きには、一変というより「弱体化」であった。社会部長が社会部出身でなくとも、それが即ち「弱体」だとは思われない。部長は統轄者だからである。

適切な補佐役さえいれば充分である。金久保部長は、事実、社会部を知らないけど、意欲的な部長だった。就任と同時に部員を知るために、各クラブ単位で膝つき合せての懇談が始まった。司法クラブでは、無罪になる裁判の多いことが話題になるや、部長はいい出した。「裁判という続きものをやろうじゃないか」私以下三人の記者は頭を抱えた。「裁判」を社会面の続きもの記事にとりあげようというのだから、その意気たるや壮である。そして、その心構えになりかけたころ、この企画は消えさった。理由はしらないが、果して、誰がこれを指導するのか、ということかもしれない。

坂内レインボー社長が釈放された。私の部下二人は〝政党検察〟に切歯扼腕して、これはどうしても解説を書かねばと主張した。本社へ連絡すると、「是非頼む」という。二人はこの数カ月の夜討ち、朝駈けの成果を、会社の立場も考慮した慎重な労作にまとめた。夜の十時ごろ、原稿を出すと、その労作は読まれもせずボツになった。二人の記者がどんなに怒ったか、その人は知るまい。

「東京地裁では……」の原稿を送ると「これは一審か二審か」の問合せがくる。武蔵野の巡査殺し犯人の二審判決が、一審の無期を支持すると、各社はベタ記事なのにウチはトップになる。ヴァリューが判断できない。これでは「裁判」という画期的な企画が消えるのも無理はないのである。

かつて、「東京租界」の時、原部長はただ一言、「名誉毀損の告訴状が、何十本とつきつけられてもビクともしないだけの取材をしろよ」とだけ命じた。指導の辻本次長はいった。「奴らはいろいろと政治的な手を打って、社の幹部に働きかけてくるから、記事をツブされないように、本人に会見するのは締切の二時間前にしろよ」これほど取材記者の感激する言葉があるだろうか。

私たち記者だって、会社には営業面の問題があることも知っている。その点と取材との調和も判る。だから、千葉銀事件などの微妙さも理解できる。「東京租界」では一千万ドルの損害賠償慰籍料請求が弁護士から要求され、文書では回答期限を指定してきた。それと聞いた辻本次長は 「面白い、その裁判が凄いニュースだし、継続的特ダネになる」とよろこんだ。