事件記者と犯罪の間 p.208-209 私は取材費も遠慮なく切った

事件記者と犯罪の間 p.208-209 取材費も切らず、仕事もせず、サラリーだけのお勤めをして、そのうちにはトコロ天式にエラクなろうという、本当のサラリーマン記者がほとんどである。
事件記者と犯罪の間 p.208-209 取材費も切らず、仕事もせず、サラリーだけのお勤めをして、そのうちにはトコロ天式にエラクなろうという、本当のサラリーマン記者がほとんどである。

私たち記者だって、会社には営業面の問題があることも知っている。その点と取材との調和も判る。だから、千葉銀事件などの微妙さも理解できる。「東京租界」では一千万ドルの損害賠償慰籍料請求が弁護士から要求され、文書では回答期限を指定してきた。それと聞いた辻本次長は 「面白い、その裁判が凄いニュースだし、継続的特ダネになる」とよろこんだ。

それなのに、千葉銀と聞いただけで、原稿は読まれもしない時代に変っている。書くことを命令したあげくの果てに!

私は、私のすべてが読売のものだと信じていただけに、取材費も遠慮なく切った。たとえ、それがそのまま飲み屋の支払いにあてられる時も、「会社のためになる」という信念があったからだ。

ニュース・ソースの培養は、何も事件のない時が大切だからだ。部長の承認印をもらう時、伝票の金額を横眼で読み取る先輩。後輩の名をかりて伝票を切る記者。出張の多い同僚をウラヤましがる男。ETC。これが一体、「新聞記者」だろうか。

「新聞記者」の採用試験には、やはり花形職業として人気が集中されている。だが、採用される今の記者には、記者の職業的使命感など、全くない。

取材費を切るためにはやはり名目がなければならないし、それだけ余分に働かねばならない。その位なら一層のこと、取材費も切らず、仕事もせず、サラリーだけのお勤めをして、そのうちにはトコロ天式にエラクなろうという、本当のサラリーマン記者がほとんどである。

サツ廻りは警察にクラブをつくり、麻雀と花札である。先輩の悪い点だけを真似して、自分の担当の署の捜査主任も知らない男もいる。

雑誌原稿を書こうなどとは思ってもみない。すすめても、それにとられる時間が惜しいと考えている。原稿を書くことが、文章の練習だとは思わない。ロクな原稿を書けもしないで、添削の

筆を入れると不愉快そうな顔をする。

私がサツ廻りの頃は、カストリ雑誌時代だったが、どんなにタダ原稿を書かされたことか。それでも、自分の原稿が活字になったよろこびで、金を忘れていたものだ。

度々のことだが、朝連解散を号外落ちした時、私たち三人の記者は恐る恐る社へ上った。

三階の編集局のドアをあけると、竹内社会部長は、はるかかなたの自席から、私たちをドナリつけた。「バッカヤロー!」と。その声は編集局中にとどろいた。いよいよ縮み上った私たちが、そろりそろりと部長席に近づくと、もはや小言はなく、森村次長からのお説教があっただけだった。

時代は変った。このような光景は全くなくなり、デスクは仕事を部下にいいつけるのに、わざわざ「××ちゃん」とか、「〇〇さんや」とか、御機嫌を取りながらの、懇願であって、もはや命令ではない。兵隊も、下士官も、将校も、今や前方の敵をみてはいない。後方の将軍や参謀ばかりである。

私はある夜、社会部長と酒をのむ機会を得て、意見具申した。

「萩原を次長にしてデスクにおかねばダメです。私を警視庁キャップにして下さい。裁判所キャップには渡井が適任です。この方が社会部のためになると思います」と。部長は「萩原か? 幾つだ」「私と同期ですから、三十七でしょう」「まだ、早いだろう」と。そのまま話は終った。

森村次長は三十二歳、辻本次長は三十三歳で、いずれもデスクとなり、読売社会部の歴史を造 った人である。