編集長ひとり語り第39回 士はおのれを知る者のために

編集長ひとり語り第39回 士はおのれを知る者のために 平成12年(2000)6月7日 画像は三田和夫71歳(1993.03)
編集長ひとり語り第39回 士はおのれを知る者のために 平成12年(2000)6月7日 画像は三田和夫71歳(1993.03)

■□■士はおのれを知る者のために■□■第39回■□■ 平成12年6月7日

もうすぐ、6月11日がくると、私は満79歳になる——考えてみると、長い人生を過ごしてきたことになる。3月、4月になると、兵隊の会や、シベリア会といった集まりがある。そういった会に出てみると、天皇陛下のために生命を捧げて神国日本を護ろうといったことも、つい先ごろのようでもあり、もうずいぶんと昔のことのようでもある。でも軍隊とは、シンニュウをつけて“運隊”だったから、生きのびて今日があるのだ。

「士はおのれを知る者のために死す」という。天皇の場合は、いまはやりのマインド・コントロールだったのだろうが、ある時、ひとりの政治関係の老人がこういった。「どうだ。小渕をどう思うね。彼を総理にするため、一肌脱がないか」と。私は答えた。「イヤです。人物が小さいから…」と。

あの時、ハイといえば、正論新聞の経営はラクになったろう。櫻井広済堂のボスに、「ウチで印刷してやろうじゃないか」と誘われたが、「結構です」といった。彼に借金ができて、親分ヅラされるのがイヤだったからだ。

政治家では、読売時代に農林省クラブで見ていて、河野一郎(洋平じゃない)なら、親分にしてもいい、と感じた。軍隊でいえば、中隊長の島崎正巳中尉か。新聞記者では読売の原社会部長。その延長線上の務台光雄社長。記者生活の中で知ったヤクザの親分衆にも、人間的に魅力のある人もいた。人の上に立つ人には、やはりそれだけの魅力があって、「あの人のためならば…」と、思えるのである。

府立五中のクラス会があって、安楽死が話題になった。と同時に、長寿と延命と介護の問題も…。ひとりがいった。年を老ってボケになるのも天の配剤だと。シモの始末など、ボケなら恥じないという意味だ。だが、自分自身の意思で、自分自身の行動ができなくなって、生き永らえることは、私にはできそうもない。その延命にどんな意味があるのか。

私が、正論新聞の刊行に努力するとき年齢を感じたことがない。だから、今後も原稿を書きつづけるのであろう。そして多くの友人知己の訃報を聞くたびに、おのれを知る者のために死すべき機会を失ったのを悔やみ、馬齢を重ねつづける…。 平成12年6月7日