編集長ひとり語り第38回 新聞がそこまでやるかね?!

編集長ひとり語り第38回 新聞がそこまでやるかね?! 平成12年(2000)6月4日 画像は三田和夫38歳(ミタコン時代 1960年ごろ)
編集長ひとり語り第38回 新聞がそこまでやるかね?! 平成12年(2000)6月4日 画像は三田和夫38歳(ミタコン時代 1960年ごろ)

■□■新聞がそこまでやるかね?!■□■第38回■□■ 平成12年6月4日

自民党には、四月会と呼ばれるグループがある。そのリーダーのひとりが、新潟比例区(正確には北陸信越ブロック)の白川勝彦(当6)で、新潟県警の腐敗摘発のキッカケになった、交通違反モミ消しの標的にされた。というのも、四月会は反創価学会(同時に公明党批判)の集まりだから、白川が狙われたのだ。チックリ(密告)したのは創価学会だという“噂”が流れたほどだった。

白川と同様に、四月会で頭角をあらわしてきたのが平沢勝栄(当1)である。10チャンネルの「朝生」の常連にもなって、政教分離を唱えて注目されていた。警察官僚出身で、先輩の亀井静香の子分、亀井のパチンコのプリペイドカードの立案者ともいわれ、大先輩の後藤田正晴⇒先輩の亀井⇒平沢と、パチンコ業界献金の上納ルートだ、といわれていた。

サテ、毎日新聞は子会社で聖教新聞の印刷を請け負い、池田大作著作の特別広告をもらう、という関係だから、この四月会の記事は一行も書かないほど創価学会に気をつかっていた。

ところが、その既得権益に読売新聞が割り込んできたのである。学会にしてみれば、300万部新聞の毎日より、自称1000万部の読売のほうが、影響力があると考えた。読売に対抗できる朝日新聞には、学会がスリ寄るスキがない。そこで、読売に公明新聞だかの印刷を発注し、特別広告も出してきた。だが読売は、四月会の記事など、大きく書いたりする“作戦”で学会にブラフをかけたりしていたのだった。

お話は変わって、平沢と亀井の仲が、最近は良くなくなってきている…という話が、永田町で取り沙汰されていた。そんなことあるものか、と私はハナ先で笑っていたのだが、衆議院の解散、総選挙となった2日、なんと平沢が自民党の公認が取れず、無所属で出馬か、というニュースが流れてきた。亀井政調会長というバックを失った平沢は、野中という“公明党利用”の幹事長のもとでは公認が取れないのも当然と、不仲説にうなずけたのである。

6月3日付の読売朝刊。社会面のトップは、野中幹事長の前で平身低頭する平沢と、それを傍らで眺める森首相の写真だった。野中は「関係者にご迷惑をかけたことを、深くお詫び申し上げる、という詫び状が出されたので公認した」と、記者発表した。当選6回、73歳で幹事長なのだから、当選1回、53歳、無役の平沢が野中に礼を尽くすのは当然だ。しかし、この“平身低頭”の写真は、平沢にとって終生忘れ得ない屈辱の場面であろう。涙なくして正視でき得ない…。

いうなれば、自民党内の反学会派ツブシである。その片棒を読売新聞が担いでいるのである。創価学会に文句をいう奴は、こうなるのだゾ! と、池田大作が嘲っている——。

蛇足だが、同日付の産経と毎日にだけ、「読売社長が自宅で転んで骨折入院した」という小さな記事が出ていた。警察官僚の大々先輩の故正力松太郎(読売社主だった人)が、平沢をあわれんで、ナベツネに「ゴマスリはやめろ」と注意を与えたのかもしれない。 平成12年6月4日