正力松太郎の死の後にくるもの p.042-043 図々しくて阿呆なのが朝日

正力松太郎の死の後にくるもの p.042-043 それは、単なるネヤの追想ではなくて、彼女なりの批判が加えられて、新聞記者論からその所属社の新聞社論、大ゲサにいえば、「現代新聞論」そのものであった。
正力松太郎の死の後にくるもの p.042-043 それは、単なるネヤの追想ではなくて、彼女なりの批判が加えられて、新聞記者論からその所属社の新聞社論、大ゲサにいえば、「現代新聞論」そのものであった。

オシゲは学校もやめて、女給業に専念し、しかも、銀座のバーの渡り歩きがはじまる。「M」に移った時期が、刑事部長氏がキャップ連をマダムに紹介したころだったから、サア大変。別れ

た記者のおもかげを求めて、彼女の新聞記者遍歴がはじまりだした。

社をやめてから、もうしばらく経っていた私にも、その御乱行ぶりが聞えてきたのだから、察しがつこうというものだ。記者たちと飲み歩きの果てには、明け方、警視庁クラブの長椅子に倒れこみ、クラブを我が家の如く振舞う、とまで噂されていた。

彼女の〝悲願千人記者斬り〟は、何も警視庁クラブ詰めの記者ばかりではない。明け方の朝刊〆切りまで起きている、新聞社の編集局にまで乗ッ込んでくるのだから、その日の風の吹き工合だ。こうして、私の先輩である社長までが加えられた。

さて、オシゲはやがて、中年の役付き記者と深くなった。事実上、同棲同様であったらしい。心配した上司が、その記者を遠方に転勤させてしまったものだから、家庭さえブン投げてしまったその記者も、やっと眼が覚めるといった始末。げに、中年男の恋らしい結末だった。そして、どうやら、オシゲの記者遍歴は終りをつげる。

そんな時期に、私はオシゲと銀座でバッタリと出会った。数年振りであったろう。彼女の〝回顧録〟に、私はテープレコーダーの用意をした。一人一人社名と氏名をあげて、彼女のその男の想い出が、綿密に語られてゆくのだ。

それは、単なるネヤの追想ではなくて、彼女なりの批判が加えられて、新聞記者論からその所属社の新聞社論、大ゲサにいえば、「現代新聞論」そのものであった。だからこそ、私は参考資

料として、記録を残すためテープにとったのであった。

「読売の記者は、私がエライ人との寝物語で、何をいいつけようが、そんなことを気にしたり、他人の彼女だなんてことにこだわりゃしない。女がそこにいるから抱くのよ。イタせるからイタすのよ。イタせそうだから、イタそうとするのよ。私の経験は、読売の記者が一番多かったけど、これが共通のパターンね。

一番数が少ないのが毎日の記者。これはキャップの親しいバーで、誰がキャップの彼女だか判らないから、遠慮するし、警戒するのよ。親分、子分の意識が強いのネ。据え膳にだって、自分の立場を考えて、盗み喰いさえしないのが毎日よ。古いわねえ。

図々しくて、阿呆なのが朝日よ。アタシが男を斬っているのに、その中味まで判断できずに、形ばかりをみて、オレがバーの女の子を斬ったんだ、と思いこんでいるのよ。徹底したエリート意識ね。

オレは〝大朝日新聞の記者だ〟ッてのが、ハナの先にブラ下っているの。アタシが他社の記者を斬ってきて、そのあと続いて、朝日の記者を斬っているのに、マワシの二番煎じとも知らずに、〝朝日にイタして頂いて有難いと思え〟式なの。〝目黒のサンマ〟の殿サマは、裏返しにしたのを知っててオトボケするンだけど、朝日の記者は思い上ってるから、裏返しのパッというところが、読めないのねェ」

オシゲの〝新聞論〟、いい得て妙ではあるまいか。オシゲとはそれ以来、もう何年もあっていないし、その消息も聞かない。