正力松太郎の死の後にくるもの p.044-045 Fという有能な整理記者がいた

正力松太郎の死の後にくるもの p.044-045 その退社の日たるや、けだし壮観であったという。Fの敏腕を惜しんだ上司たちの肝入りで、貸し主たちが呼び集められ、積みあげた退職金から順次に、〝支払い〟が行なわれ、残った四十万が自宅へ届けられた。
正力松太郎の死の後にくるもの p.044-045 その退社の日たるや、けだし壮観であったという。Fの敏腕を惜しんだ上司たちの肝入りで、貸し主たちが呼び集められ、積みあげた退職金から順次に、〝支払い〟が行なわれ、残った四十万が自宅へ届けられた。

オシゲの〝新聞論〟、いい得て妙ではあるまいか。オシゲとはそれ以来、もう何年もあっていないし、その消息も聞かない。

「畜生、辞めてやる!」の伝統

さて、ここで、古き良き時代の新聞記者について語らねばならないだろう。

まず、二人のチャンピオンをあげよう。さきごろ、大阪読売の編集局長栗山利男(読売取締役)が、読売常務・編集局長の原四郎にたずねたという。「誰か、パチンコ狂はいないか?」と。

この言葉には、解説が必要である。Fという有能な整理記者がいた。ところが、これがまた大変な競馬狂で、仕事以外は、競馬のことしか念頭にないのである。そのキャリアは、累積赤字四百万円に達したというのであるから、想像を絶しよう。もちろん、負けに負け続けたというものではない。勝つ時もあるのだが、その時は景気良く派手に使ってしまうのだから、負けた時の借金が累積してゆくのだ。

ありとあらゆる所から借りつくして、流石に身動きが出来なくなってしまった。かくし てF

は、読売を退社して、その退職金四百万円を投げ出し、一度、借金の整理をすることとなる。借金と退職金がツーペイである。これでは、家族も困ろうと、友人たちが高利貸しを口説いて利子をまけさせ、四十万円を捻出した。その退社の日たるや、けだし壮観であったという。

Fの敏腕を惜しんだ上司たちの肝入りで、貸し主たちが呼び集められ、積みあげた退職金から順次に、〝支払い〟が行なわれ、残った四十万が自宅へ届けられた。だが、Fは悠然として、この四十万円で競馬に出かけ、倍の八十万円にして帰ってきたというのだ。しかも身辺整理の終ったFは、大阪読売に迎えられて、華麗な見出しで紙面を飾っている。

Fの能力に感嘆した栗山が、「とても、普通の状態では、東京が大阪へと手放してくれる記者ではない。大阪の陣容強化のため、もっと優秀な記者がほしいものだ」として、今度は競馬狂ではなくて〝パチンコ狂はいないか〟と、原にたずねたというものである。

もう一人は、Iというカメラマン。これまた、無類の酒好きで、早朝から酒気を帯びてはいても、一瞬のシャッター・チャンスを争う報道写真にかけては、抜群の腕前ではあった。私も、幾度かIと仕事に出かけたが、彼の名人芸には感嘆させられたものであった。

多くのカメラマンは仕事に出かけると、ヤタラとシャッターを切る。紙面に使われるのはタダの一枚の写真なのに、沢山写して、デスクや部長にえらんでもらうためだ。もっとも、未熟なカメラマンを育てるための、それが教育法でもあったのであろう。ところが、Iはいつも、仕事は

一枚限りである。