正力松太郎の死の後にくるもの p.080-081 記者になるための十分な基礎訓練

正力松太郎の死の後にくるもの p.080-081 「彼は、十分な基礎訓練を受ける機会がなかったことが原因になっている」原は私が〝ルールを忘れ〟〝バカげた〟ことをしてしまった「原因」を、記者の基礎訓練の問題として、とらえている。これは、正しいことである。
正力松太郎の死の後にくるもの p.080-081 「彼は、十分な基礎訓練を受ける機会がなかったことが原因になっている」原は私が〝ルールを忘れ〟〝バカげた〟ことをしてしまった「原因」を、記者の基礎訓練の問題として、とらえている。これは、正しいことである。

尊敬する先輩であり、かつての、直属上司であった、原の言葉ではあるが、〝あれほどの優秀な記者〟と、過分な表現をされた私として、この講演に異議をさしはさまねばならない部分がある。

私が、昭和三十三年六月十一日の夜、銀座のビルで発生した、「横井社長殺人未遂事件」で、〝本来守るべきルールを忘れ〟てしまったことは、事実である。そのために、犯人隠避として刑事訴追を受けたことが、果して〝バカげた〟ことであったかどうかは、別の問題であろう。

本人である私は、今にしても、決してあの行為を、〝バカげて〟いたとは思えないのである。もっとも、〝バカげて〟いるというのは、原の主観であって、あの事件で社を辞めなければ、今ごろは、原編集局長のもとで、もっと〝新聞〟のために働けたであろうにという、「惜しい男をなくした」という、編集局長としての〝親心〟であろうか。その方が、三田にとっても、社にとっても、新聞界にとっても、プラスであったのに……バカげているという、それこそ身に余る言葉であろう、と考えている。

「彼は、記者になるための、十分な基礎訓練を受ける機会がなかったことが、大きな原因になっている、と思う」——原は私が〝ルールを忘れ〟〝バカげた〟ことをしてしまった「原因」を、記者の基礎訓練の問題として、とらえている。

これは、正しいことである。

私は刑事訴追を受け、有罪となったが、公判を通じて明らかになったことは、安藤組という暴力団とは、過去に全く関係がなかったこと、金銭その他の利をもって誘われたものでも、脅迫などの強制的なものでもなく、全く「五人の指名手配犯人逮捕の記事独占」のためであった、ということである。

そのため、社歴十五年の記者経歴を棒に振り、刑事訴追されて有罪となる——となると、やはり、客観的には〝バカげて〟いるし、原因としては、〝記者としての基礎訓練不十分〟としか、判断しようもないのが事実であろう。

私自身の主張はさておき、だから、原のいうことが、正しいというのだ。では一体、〝十分な基礎訓練〟とは、何を指していうのであろうか。

私たちの時代は、小山栄三の「新聞学」であったが、そのうん奥をきわめることなのだろうか。否である。新聞学の学究が、〝完成された記者〟でないことは、明らかである。

刑事は〝現場百遍〟という。犯罪の手がかりは、すべて現場にあるということだが、これも「読書百遍、意義おのずから通ず」からきたものだ。事件記者の完成は、デカになることではない。

「新聞記者は、疑うことではじまる」

この言葉は、読売の先輩、「昭和史の天皇」をまとめている辻本芳雄記者に、私が教えられた

言葉である。批判の眼を持つことである。抵抗の精神である。

〝記者として十分な基礎訓練〟とは、私は、この批判の眼、抵抗の精神を、徹底的に、自分自身に叩きこむこと、だと思う。