正力松太郎の死の後にくるもの p.240-241 朝日の自社紙面に対する無責任

正力松太郎の死の後にくるもの p.240-241 連日連夜の訂正記事の掲載ということが、大新聞としてあり得てよいものであろうか。「声」欄担当の高松喜八郎も座談会に出席して、投書者もルールを守ってほしいと、ヌケヌケ語っている。この元学芸部長の〝無責任〟さ、ひいては、朝日の自社紙面に対する無責任が露呈されている。
正力松太郎の死の後にくるもの p.240-241 連日連夜の訂正記事の掲載ということが、大新聞としてあり得てよいものであろうか。「声」欄担当の高松喜八郎も座談会に出席して、投書者もルールを守ってほしいと、ヌケヌケ語っている。この元学芸部長の〝無責任〟さ、ひいては、朝日の自社紙面に対する無責任が露呈されている。

朝日の紙面が、士魂どころか、〝士才〟まで失ってゆく傾向は、四十年一月を例にとっても明らかである。

この一月中に、朝日新聞は十二日間で十六本の記事訂正を行っている。つまり、「訂正」という見出しで、既報の誤まちを訂正する小さな記事が、十六回出たということだ。五日の運動欄を皮切りに、七日付朝刊の三本をトップとして、一日二本が十四日夕刊、十九日朝夕刊の二回。その他、八日、十二日、十五日、二十一日、二十四日、二十六日、二十八日、三十日が各一回宛だ。

このような、連日連夜の訂正記事の掲載ということが、大新聞としてあり得てよいものであろうか。だが、この責任をとった編集局長の更迭というニュースは、ついに聞かれなかった。

そればかりではない。朝日の投書欄「声」における、体制批判のニセ投書事件についても、同様に責任は追及されなかった。さる一月二十日、自民党中野区議が、肩書、年齢まで記入して、実名で、内部の腐敗をバクロしたのである。そして、ナントこれがニセ投書であることが明らかになる。当の御本人が、「誰だ、私の名をカタるのは——」と、投書したからである。

同様の例が、七月に入って再び、日大助教授である女性の名をカタって、ウソの内情バクロを行うというケースで発生した。そしてまた、そればかりではない。朝日ジャーナル誌の「読者から」欄でも、大東文化大生と称する匿名の投書(「軍事研究」誌十月号)がウソッパチの限りを書い

たまま活字になったという。

新聞協会の「新聞研究」誌十月号は、これら投書欄の問題を特集しているが、「声」欄担当の高松喜八郎も座談会に出席して、ベストを尽して調査するが、投書者もルールを守ってほしいと、ヌケヌケ語っている。同誌の中で、山本明が「徹底的に新聞の責任」とキメつけているのをみても、この元学芸部長の〝無責任〟さ、ひいては、朝日の自社紙面に対する無責任が露呈されている。

自民党区議が党内の腐敗を、日大助教授が学内の非道を、それぞれ実名でバクロするということは、すごく〝カッコイイ〟ことである。だから、軽卒にも高松は飛びついたのであろう。この投書の採否を、高松のような部長経歴のある〝大記者〟はしない、というのであれば、その部下がおもねてやったことに違いない。その記者は社全般の空気と傾向をみてとって、カッコイイ「声」欄を作ろうと迎合したに違いなかろう。

考えてもみたまえ。朝日はカッコよくてすむだろうが、区議としては退職しなくともすむが、自民党は除名され、次回は落選の可能性が強くなる。助教授は退職へと追いこまれるのが当然である。この時に、新聞記者は疑うことが第一だという、イロハすら思い浮ばなかったのであろうか。

可能な限りの調査をした、と高松はいうが、何故、本人に会って確認しないのか。第一、この

二つの投書は、「声」欄どころか、社会面のニュースである。「声」欄に人手がなければ、どうして社会部記者を使わないのか。本人に確認できなければ、何故、掲載日を遅らせないのか。すべてにおいて、何の弁解すら許されない、全くの初歩的なミスを犯して、かつクビになることもなく、平然と新聞協会の座談会に出席する神経? 社内問題である特オチ(大ニュースを自社だけが落すこと)とは、本質的に違う、二人の公人の名誉に関する問題である。この紙面に対する編集局長以下の無責任さ加減は、何を示しているのだろうか。