正力松太郎の死の後にくるもの p.284-285 共同通信社会部記者不破哲三

正力松太郎の死の後にくるもの p.284-285 共同通信社の〝偏向〟のはじまりは、昭和二十四年の都条例反対デモで、一人の青年が死んだ事故を「警官に殺された」と、当時の社会部記者不破哲三(現日共、政治・外交政策委員長)が、〝誤報〟したのにはじまっている。
正力松太郎の死の後にくるもの p.284-285 共同通信社の〝偏向〟のはじまりは、昭和二十四年の都条例反対デモで、一人の青年が死んだ事故を「警官に殺された」と、当時の社会部記者不破哲三(現日共、政治・外交政策委員長)が、〝誤報〟したのにはじまっている。

しかし、滔々たるマスコミ反動化シーズンの中で、朝日の振り子が戻るのもみずから限界がある。六八年三月一日付けで、伊藤牧夫社会部長が、西部本社の編集局長(筆者注。局次長の誤まり)に〝栄転〟した背景にも、社会面の安保報道に対する自己規制のあらわれという一面がうかがわ

れた。反日共系全学連ゲバルトに対しては、徹底的に非難キャンペーンをすることで、〝身のあかし〟をたてようとの配慮も感じられる。いままでは〝進歩的朝日のショーウインドー〟として黙認され、コマーシャリズム上からも商売にプラスしてきた『朝日ジャーナル』の編集方針についても、六九年中には方向転換が行なわれるのではないかと、とりざたされている。

しかし、いずれにしても朝日は六八年秋で朝刊部数五百八十万部を誇り、六九年中には『六百万部の朝日』を実現すべく、隆々たる社業発展のコースを歩んでいる。このため広告界との力関係でも、金融資本や政府権力との力関係でも、相対的ながらもっとも独自性を保持しやすい条件におかれているということができる。それ故にこそ、朝日への偏向攻撃がもっとも激烈をきわめているわけであり、TBS、共同の〝転向〟が進展するなかで、朝日の孤立化は深められ、その相対的主体性が、商業マスコミ本来の体制的本質の陰に喪失してゆく方向は必至であろう」

長い引用ではあったが、渡辺さえも〝左翼偏向とは、意識的デマだ〟と断定する根拠が、〝小和田次郎〟という格好の人物の文章の中にみられたので、とりあげてみた。

一体、偏向とはなにか? 現在の大新聞の中に、その綱領という〝女郎の起請文〟に謳ったような、「中立公正」な立場が、可能なのか、どうか。考えねばならない問題は多いのである。

「偏向報道」というのは、虚報、誤報、歪報のことではない。ところが、現実には「誤報」(虚

報、歪報をも含めて)のことが「偏向報道」とよばれている。〝偏向ご三家〟の元祖である共同通信社の〝偏向〟のはじまりは、昭和二十四年の都条例反対デモで、一人の青年が死んだ事故を「警官に殺された」と、当時の社会部記者不破哲三(現日共、政治・外交政策委員長)が、〝誤報〟したのにはじまっている。

しかし、小和田は「……真実を書き、それを国民のまえに明らかにすると」という。真実を伝えることと、誤報との関係を明らかにしないで、〝偏向〟という言葉を〝流行にのって〟使っている無神経さである。

私の長い記者生活の体験からいっても、ある現象、ある対象を報道する時、その現象やら対象やらに、好意をもつのと、もたないのとによって、記事からうける印象は、全く別のものになってしまうのである。報道文章の基本型である五つのWと一つのH、これを〝真実〟で充足しながらも、レポーターの主観が、その中に入りこんで、言葉をえらばせるのである。ボキャブラリイが豊富であればあるほど、〝真実〟を書いてなお、〝主観〟をニジませることが可能なのである。

ところが、言葉の貧しい記者では、ウソを書く以外に、〝主観〟を表現できないのである。だから、誤報になるのである。「偏向報道」というのは、「真実を伝え」かつ「客観を装って主観を交え」ることである。なぜ、そのようなことが可能であろうか。盾には両面があるからである。

朝日に関して、〝偏向〟といわれているものの多くが、事実は「誤報」である。小和田が支持 する「伊藤社会部長の西部編集局長への〝栄転〟の背景」というクダリも、局次長とを間違える(前後から判断して校正のミスではないと思う)ほどのズサンさであるから、もっともらしい〝背景〟がありそうに書かれてはいるが、今まで批判してきたように、その代表例「板橋署六人の刑事」にみるように、誤報である。