正力松太郎の死の後にくるもの p.328-329 秦の主観と他社記者の客観のズレ

正力松太郎の死の後にくるもの p.328-329 このようにまとめた原稿を、私が雑誌に掲載したのに対し、当の秦正流朝日大阪編集局長から、長文の手紙をうけとった。私の叙述に、誤解があるというのである。読者の判断に資するため、その手紙を併載しよう。
正力松太郎の死の後にくるもの p.328-329 このようにまとめた原稿を、私が雑誌に掲載したのに対し、当の秦正流朝日大阪編集局長から、長文の手紙をうけとった。私の叙述に、誤解があるというのである。読者の判断に資するため、その手紙を併載しよう。

大森のウントン自供書は、彼の退社後に、公判廷でウントンが否認したと、「シンガポールで

きいたジャカルタ放送=UPI」の外電が伝えた。しかし、アイジットは死んでいるので、自供書は否定されなかった。死人に口なし、書けば書き得、であった。

ある外国特派員の家庭を訪れた人が、妙な表が壁にはってあるのを、その〝朝日記者夫人〟にたずねた。夫人はニッコリ笑って、原稿の送稿本数と掲載本数の表で〝打率〟何割何分と計算までしていたそうである。あまりのお話なので、この特派員の名前は伏せるが、これでは〝外報の朝日〟が、森恭三の退役で幕を閉じたというのもムベなるかなであろう。デビ夫人が権勢を振うジャカルタ、キム・ジョンビル議長下のソウル——発展途上国で、しかも、日本の賠償金が流れこむ街。そこで、権力者と商社とを結んでくれる格好の人物は、新聞特派員である。

しかも彼は、その社から単身赴任しているのだ。管理者の眼の届かない、自由の天地でもある。もちろん、現地には、日本の役人もいよう。だが、外務省の役人たちも、やがて日本に帰るのである。その時、大新聞をあえて、自分の〝敵〟とするよりも、すべてにみてみぬフリをするのが、当然であろう。

特派員夫人の〝打率〟計算は、果して、読者のための、記者としての報道態度だろうか?  自分のための出世第一主義で、社の幹部ばかりに顔を向けて、肝心の国際情勢に背をみせていないだろうか。

「朝毎アカ証言」で、反米的といわれ、ベトナム政策を批判するといわれ、さらに、紙面全体

が、左翼偏向していると、一部から攻撃されている、朝日新聞の外報部をめぐる、幾つかのエピソードを紹介してみた。何よりも、朝日の紙面をつくる人たちの、精神構造と社会構造とを、よく検討して頂きたい。この状態で、何百人ものコミュニストが棲めるのだろうか。送稿本数と掲載本数との〝打率表〟まで作って、特派員の亭主を叱咤する記者夫人の姿は、果して、コミュニストの家庭であろうか。

このようにまとめた原稿を、私が雑誌に掲載したのに対し、当の秦正流朝日大阪編集局長から、長文の手紙をうけとった。私の叙述に、誤解があるというのである。読者の判断に資するため、その手紙を併載しよう。前述したように、十名ばかりの外報記者の中でのできごとで、私としては、ソースとなった某社記者の判断にもとづいた表現なのだが、秦の主観と他社記者の客観との間に、ニュアンスのズレは認められる。

「(前略)一、ポール・マッカーサー事件について秦正流が突如として口を切った。『どうだい、みんな、こんな問題はなかったことにしようじゃないか』つまり、こんなニュースが入電したことをモミ消そうという意味の提案をしたようだ。(中略)真相は、全く違います。それを簡単に話しましょう。私は余りにも日本の新聞と新聞記者が情ないから、いつの日か私なりに当時のことを書くつもりでいましたから、鮮明に記憶しています。