正力松太郎の死の後にくるもの p.330-331 私はむしろケイベツ的な気持をもった

正力松太郎の死の後にくるもの p.330-331 〝モミ消し〟などとはおよそ次元も心境も違う。それを、あなたに話した人のように聞く人がいたとすれば、それはその人の、この問題にたいする考え方が、私と根本的に違っていた からでしょう。
正力松太郎の死の後にくるもの p.330-331 〝モミ消し〟などとはおよそ次元も心境も違う。それを、あなたに話した人のように聞く人がいたとすれば、それはその人の、この問題にたいする考え方が、私と根本的に違っていた からでしょう。

その日は日曜だった。ボクは自宅にいた。午後三時ごろ電話があった。毎日の大森君だった。カクカクのことで、各社外報部長が米大使館に集るから五時までに来てほしいという。だから私はみんなより一番遅れて出かけていった。途中本社によったら『共同からの連絡もあり、各社いちおう夕刊で抑えてある(当時は夕刊があった)』とのデスクの報告。

バカな余計なことを、と私は思った。なぜそんなに騒ぐんだ。なにをそんなに恐れるんだ。アメリカの議会で国務省の次官や次官補が苦しまぎれにでたらめいったことが、どうして日本でそれほど権威をもつんだ。馬鹿々々しい、というのが私の当時のにがにがしい卒直な感想だった。米大使館へ行ったら、みんながサモ一大事であるかの如く集っている。外報部長たちがである。どんな扱いで報道するか、どう抗議するかとか(朝日、毎日に同情するかの如き、あるいは逆の感情をも含めて)の議論があった。だから私は『笑止千万のことだ。せいいっぱいベタ記事であり、無視してしまったってよいくらいのもんだ』というような発言をしたはずである。

〝モミ消し〟などとはおよそ次元も心境も違う。それを、あなたに話した人のように聞く人がいたとすれば、それはその人の、この問題にたいする考え方が、私と根本的に違っていた からでしょう。まさに私が逆の見解をとっていたからです。だから、毎日の幹部が急拠会合し、大々的な反論を試みることになっているという大森君の話にも、私はむしろケイベツ的な気持をもっただけで、朝日は別の扱いでいこうと考えました。

朝日の扱いは、あれでも私は少し大きすぎたのではないかと思っています。朝日は、『米国の議会でもベトナム戦争についての日本の世論がよくないことが問題になり、国務省の情報が甘すぎるということで、責任追及された役人たちが一知半解の知識をもちだしていいのがれをはかった。その際、こんな無責任な発言をやった』という解釈です。

だから扱いとしては『ベトナムに関する日本の世論が米国で政治問題化している』ことをニュースとする。次にその際、無責任にもせよ、わが国の新聞、とくに朝日、毎日について信用を落とさせるような発言があったことを、その反論とともに載せる。(どこかの国のだれかが、デタラメな中傷を加えるごとに、それをニュースとし、反論しなければならないかどうか。そういうと『かりにもアメリカの議会だぜ』『アメリカ国務省の次官であり、次官補であるんだよ』などいう人が周辺に余りにも多いんで、私は情なく思っているものの一人です)

二、大森君と私がベトナムから出てくると『アメリカは二人をワシントンに招待した。ラスク国務長官に会わせるから、というのである』『大森はアメリカの招待を断ったが、秦はよろこんで出かけ』

これは誰から聞かれたか明らかでないので、あなた自身の断定と思われますが、全く事実に反しています。大森君が招待されたかどうか、また招待を断ったかどうかを私は知りませんから(私は逆のように聞いていますが)私に関する限り誤りだと訂正しておきます。