私はいちどもアメリカから招待されたことはありません。あの訪米は、一九六五年七月から、私が開始した一連の企画(南北ベトナム、インドネシア、北京、ソ連、英、仏、カイロ、ユーゴ訪問)のなかに含まれていて、早くからアメリカに接衝していたものです。アメリカは私が出発する直前にも、会見を保証してくれなかったし、ワシントンに到着しても、国務長官との会見を保証してはくれなかった。私は何日でも待つつもりで、ワシントンに頑張って、結果としてラスクやハンフリーに会えたのです。だから〝よろこんで〟出かけるなどということはあり得ないことでしょう。
ただ、当時、日本の世論を非常に気づかっていたアメリカが、日本の代表的な新聞の一つに異例の会見という形をとって、アメリカの公式見解を詳しく報道してもらいたいと思っていただろうと思います。私たち新聞人は、ソ連の首脳であれ、ハノイの指導者であれ、われわれの関心と かれらの関心との一致するところをねらって、インタービューを申入れるのが常識です。その常識にしたがったまでです、残念ながら北京もモスクワも、カイロもパリ、ロンドンも会見を許してくれませんでした。それだけのことです。
以上、直接私に関係する部分の誤りです。私に問い合せていただきさえすれば、間違わなかったのにと、残念に思います。とくに残念なのは、最初の方の引用形の文のなかに『なかったことにする』という文句があることです。『無視する』というのは評価、取捨選択の問題ですが、あ
るものを『なかったことにする』というのは、およそ事実に立脚することを信条としている新聞記者の基本姿勢にふれる問題だからです。『モミ消す』ということばと同様、全くやり切れない思いです。(中略)
長々と書きました。御無礼なことばもあったかと思います。だが、私の真意は、あなたが現代新聞論を志しておられる。一人でやられるには余りにも大仕事だから、なかには誤った情報による判断なり、記述も避けられないかと思います。それを指摘して、できるだけ、あなたの労作を正確なものにしてもらうことは、読者であり、同時に同僚でもある私たちのつとめだと思ったものですから、あえて一文した次第です。朝日新聞の同僚たちは、あなたの取材を拒否しないはずですから、どうぞ、できる限り直接取材して下さい」(後略)
「外報の〝朝・毎〟」は、このような経過で、すでに両社とも、それを看板にはできない状態になってしまったようだし、私は〝朝毎はアカの巣窟〟という、アメリカ流の見解の皮相さを、十分に解説し得たと思う。
とにもかくにも、上田常隆は、毎日社長であると同時に、日本新聞協会長として、「販売制度の改革」に取り組んでいた。その情熱を、私にももらしていたほどであったが、ついに志をのべないまま、現役を退いて、毎日顧問となった。