正力松太郎の死の後にくるもの p.364-365 三社のうちでは最下位の毎日

正力松太郎の死の後にくるもの p.364-365 従業員一人当り部数。新聞経営の健全な形一人当り千部といわれている。読売の七三三部が一番ラクで、毎日の七〇八部が、朝日に百十九万部、読売に七十九万部と、大きく水をあけられた苦戦の姿を物語っている。
正力松太郎の死の後にくるもの p.364-365 従業員一人当り部数。新聞経営の健全な形一人当り千部といわれている。読売の七三三部が一番ラクで、毎日の七〇八部が、朝日に百十九万部、読売に七十九万部と、大きく水をあけられた苦戦の姿を物語っている。
正力松太郎の死の後にくるもの p.364

それを実証しているのが、朝日の紙面と発行部数の増加との関係である。あれほどに、デタラメな紙面を作っていながら、当面の責任者は、何らお構いなしで、しかも、部数は増加しているのである。
ということは、読売のみならず、朝日の場合でも、〝記事がよいからとっている〟のは五%以下なのであろうか。かくの如く、読者の自由な選択権を封殺する、「宅配制度」に守られて、巨大化を続けてゆく「新聞」であってみれば、〝紙面〟はその存在価値にほとんど影響を与えてお

らず、それこそ、販売関係者の心意気を示す〝古語〟であった、「朝日新聞と題号さえついていれば、白い紙でも売ってみせます」という言葉が、全く別の語意で生きていることを、思い知らされるのである。「破廉恥」が「ハレンチ」となって生きてくる時代であるからこそに……。

これが、「マスコミとしての新聞」の姿であって、「既成概念の新聞」と、全く区別されなければならないのである。と同時に、現在はまだ、その両方が入りまじった過渡期の時代でもある。

過渡期ではあるが、〝マスコミとしての新聞化〟現象は、この昭和四十年代の中盤期に入って、いよいよ進行していることは、各紙発行部数表(表1)にみる通りである。

五社発行部数表(表1)

少し古い数字で恐縮だが、昭和四十三年十月現在の数字で、その直後の十一月からの値上げ後の影響は、まだわからない。しかし、昭和四十年十月の前回値上げ後も、各紙は部数増加を続けていることが、表にみる通りで唯一の例外として、サンケイ大阪が二万八千余部の減紙となっている。

表中の従業員数は、新聞年鑑によったもので、参考までに、「一人当り部数」を算出してみた。新聞経営の健全な形の常識として一人当り千部といわれているのだから、読売の七三三部が一番ラクで、三社のうちでは、最下位の毎日の七〇八部が、朝日に百十九万部、読売に七十九万部と、大きく水をあけられた苦戦の姿を物語っている。

そして、たとえ〝四大紙〟と誇号していても、サンケイの百八十三万部、従業員一人当り四三三部という数字は、大新聞としての戦列から落伍し、命運すでにつきた感がするのを否めない。しかも、この表からは、大阪版の二・九%の減紙しかわからないが、昭和三十九年十月の数字でみれば、相当な減紙であって、急坂を転がりおちている実情である。

ついでなので、日経の数字も掲げたが、この一人当り四七〇部というのは、数字は低いけれども、読者が固定していて流動せず、販売経費がかからないのと、広告の増収という〝含み資産〟があるので、一般紙の数字と同じモノサシでは計れないことを、お断わりしておこう。