正力松太郎の死の後にくるもの p.368-369 エイムズ(AYMS)という新しい言葉

正力松太郎の死の後にくるもの p.368-369 こうして、ここ数年のうちには、サンケイの崩壊と毎日の凋落、朝・読の超巨大化という現象があらわれてくる。新聞界の序列AYMSは、サンケイのSではなくて、聖教新聞のSだということである。
正力松太郎の死の後にくるもの p.368-369 こうして、ここ数年のうちには、サンケイの崩壊と毎日の凋落、朝・読の超巨大化という現象があらわれてくる。新聞界の序列AYMSは、サンケイのSではなくて、聖教新聞のSだということである。

しかし、東京での伸び率の朝日十七%対読売十三%で、四十七万の差があるのにくらべると、大阪で朝日十二%対読売十七%で、二十五万の差というのでは、大阪での読売の追いあげの凄まじさが、しのばれるというものである。
ことに、北海道をみると、四十年の朝日十三万対読売十二万という、ほぼ同数だったものが

三年後には逆転して、読売がリードを奪っており、しかも伸び率が、朝日の二十六%に対して、読売は五十%、約倍の高率である。

西部と名古屋(読売は北陸)では、朝日の優位は読売をよせつけないほどであるが、少くとも、大阪の形勢をみると、もう数年で逆転の可能性が認められる。現在の差(総部数)の四十万部ほどは、大阪で読売が首位を奪取すれば、ラクにつめられるほどの小差なのだから、この成り行きは興味深いものがある。

こうして、ここ数年のうちには、サンケイの崩壊と毎日の凋落、朝・読の超巨大化という現象があらわれてくる。そして、もし毎日が現在の四百万台を割るようであれば、サンケイのように、急速な転落の道をたどることになろう。

世帯数増加の正確な数字がないので、断言するのをはばかるが、新聞購読人口はほぼ頭打ちの状態にあり、世帯数の伸び率以外には他紙をさん食しなければ、伸びないといわれている。従って、朝・読の巨大化の第一の犠牲がサンケイということになる。

エイムズ(AYMS)という、新しい言葉が使われはじめている。新聞界の序列を示すものなのだが、朝(A)読(Y)毎(M)はわかるとしても、最後のSは、残念ながらサンケイのSではなくて、聖教新聞のSだということである。

そして、毎日はどうか。朝、読との闘いを諦らめた毎日は、編集出身の田中会長の統卒下にあ

るらしく、「広報伝達紙」たることを避け、本来の意味での「新聞」に立ちもどりつつある。

最近の毎日新聞の紙面は、権力に抵抗し、ヤミ取引を排除して、清新、爽快なものに変りつつあることは事実だ。四百万の大台を割り、二百万、百万と下っていっても、私は、この毎日新聞の進む道を壮としたい。このような新聞こそ、明日の日本という、民族と国家とのために、必要欠くべからざるものなのだ。