編集長ひとり語り第37回 バスジャックの父親! 出てこい!

編集長ひとり語り第37回 バスジャックの父親! 出てこい! 平成12年(2000)5月20日 画像は三田和夫70歳(右側 上海鉄路分局・文明車站1992.02.04)
編集長ひとり語り第37回 バスジャックの父親! 出てこい! 平成12年(2000)5月20日 画像は三田和夫70歳(右側 上海鉄路分局・文明車站1992.02.04)

■□■バスジャックの父親! 出てこい!■□■第37回■□■ 平成12年5月20日

テレビには映らなかったから、両親が揃って出てきたのか、母親だけだったのか、シカとは分からぬが、新聞紙上には「説得の自信がない」と称して、バスにも近寄らなかったようである。この事件の報道、ことにテレビでは、午前5時の突入まで、徹夜して見つめながら、イライラの連続であった。

まず警察——ナゼ、十何時間も走らせ放題にしたのか。タイヤを撃ってパンクさせることも出来たではないか。ことに、二度目の停車で、瀕死の女性を運び出したときに、どうして、狙撃しなかったのか理解に苦しむ。窓から説得している隊長は、十分に狙撃のチャンスがあったはずである。

広島のシージャックの時に、狙撃したため、殺人罪で告発された過去が、彼らにタメライを与えたようであるが、瀕死と重傷2人と、3人の女性を搬出したときが狙撃の機会だったと思う。狭いバス車内での、少年の狂気にさらされた乗客たちの恐怖は、射殺しても余りある罪状である。

警察がダメなら、両親である。父親がバスに乗り込み、身を挺して刃物を奪うべきであった。そうでなければ、こちらも刃物を持って、少年を刺すべきであった。母親とて同罪である。自分が生み、育てた息子に、「刺してみろ」という勇気がないのか。そして死んだら本望であろう。少なくとも、バスに乗り合わせただけの他人を殺したり、刺したりすることに比べれば、親がヤラレるほうが、ベターである。

リュックに刃物を荷造りしているのなら、それを取り上げるのが本当だろう。コワイのであれば、家族で逃げればいいだろう。息子のことを警察に訴えた上で…。でなかったら、今までに数多くの実例があるように、親の子殺しである。寝ている時になら、やれるハズである。他人さまを襲うことに比べて当然の結論である。夫婦で生んで育てた責任を社会に対して取るべきである。

ナゼ、このような“極論”をいうかといえば、母親の「精神病院も警察も取り合ってくれなかった」と、責任逃れ、他人のセイにする言動が出てきたからである。

むかし、29歳の無職男が、エロ本を売っていて警察に捕まった。その父親が東大教授だったので、父親の育て方を非難する声があがったことがある。父親は毅然としていった。「29歳にもなった息子への、父親としての責任はない」と。

17歳だから、親の責任を私は問うのだ。事件が起きたのを、内閣危機管理室の報道で知った森首相は「射殺しろ!」と命令すべきであった。そうすれば、この両親と同じように、責任を取るのがコワイらしい、県警本部長なるキャリアは安心して射殺を命ずるだろう。そして、少年の射殺体の写真を、ひそかに週刊誌に流してやるのだ。

小渕前首相の病床写真よりも、少年の射殺体の写真は、全国の17歳の「虞犯(犯罪を起こすおそれのある)少年」たちに感銘を与えるであろう。もちろん、今回のように模倣犯も出ないことは、請け合いである。

森首相も“神の国”騒動が吹っ飛び、総選挙も、ひょっとすると大勝利かもしれない。いずれにせよ、今度の選挙で自民党が大敗すれば、森首相と野中幹事長の責任である。バスジャックも解決して、万万歳だったといえる。

それにしても、この少年の父親! 卑劣な男だ。自ら名乗り出て、社会に詫びよ!

射殺されれば、少年は極楽往生。両親ら家族は、これからの長い人生を、どう生きていこうとしているのか? 平成12年5月20日