を行った。ある種というのは、ほとんどが大学高専卒の人間で、しかも原職が鉄道、通信関係や、商大、高商卒の英語関係者であった。
その三は、もはや二冬を経過して、ソ連にもちこんだ私物は、被服、貴重品類ともに、掠奪されるか、売りつくすかでスッカラカンになっていた。そんなわけで金(ルーブル紙幣)がないはずの人間が大金をもっている。あるいは潤沢にパン、煙草、菓子などを入手している。
その四は、ある時期からその人間の性格が一変して、ふさぎこんでくること。しかも、それらの連中は、何かともっともらしい理由のもとに、しばしば収容所司令部に呼び出された。そして、そののちにそのように変化するか、変わった後において呼び出されるようになるか、そのどちらかである。
このような一連の〝腑に落ちないこと〟をそのまま見逃すような私ではなかった。ソ連のスパイ政治——収容所内の密告者——前職者、反ソ分子の摘発——シベリア民主運動における〝日本新聞〟の指導方針——民主グループ員の活動——思想係の政治部NK将校——呼び出しとそれにからまる四つの疑問——収容所内のスパイ——ソ連のスパイ政治。これらのことがいずれも相関連して、私の新聞記者的なカンに響いてくるのだった。新聞記者は疑うことが第一