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雑誌『キング』p.107下段 幻兵団の全貌 新聞記者的なカン

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.107 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.107 下段

を行った。ある種というのは、ほとんどが大学高専卒の人間で、しかも原職が鉄道、通信関係や、商大、高商卒の英語関係者であった。

その三は、もはや二冬を経過して、ソ連にもちこんだ私物は、被服、貴重品類ともに、掠奪されるか、売りつくすかでスッカラカンになっていた。そんなわけで金(ルーブル紙幣)がないはずの人間が大金をもっている。あるいは潤沢にパン、煙草、菓子などを入手している。

その四は、ある時期からその人間の性格が一変して、ふさぎこんでくること。しかも、それらの連中は、何かともっともらしい理由のもとに、しばしば収容所司令部に呼び出された。そして、そののちにそのように変化するか、変わった後において呼び出されるようになるか、そのどちらかである。

このような一連の〝腑に落ちないこと〟をそのまま見逃すような私ではなかった。ソ連のスパイ政治——収容所内の密告者——前職者、反ソ分子の摘発——シベリア民主運動における〝日本新聞〟の指導方針——民主グループ員の活動——思想係の政治部NK将校——呼び出しとそれにからまる四つの疑問——収容所内のスパイ——ソ連のスパイ政治。これらのことがいずれも相関連して、私の新聞記者的なカンに響いてくるのだった。新聞記者は疑うことが第一

雑誌『キング』p.106中段 幻兵団の全貌 昭和二十年の秋

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.106 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.106 中段

連製日本人スパイに関する情報なのだ。しかも、その情報によれば、それはシベリア民主運動を芽生えさせ、育てあげ、ついにあの日の丸を破り、花束をふみにじるという、けんらん豪華な〝赤い復員〟旋風にまで昇華させた指導者〝日本新聞〟につながりがあるらしい様子だったので、今、小針氏の重大決意を示した発言に手の震えを感じたのも無理からぬことだった。

ここで私は、読者の理解を助けるため、委員会の休憩を利用して、話を昭和二十年の秋にまでもどすことにしよう。

終戦後の九月十六日、私たちの列車が内地直送の期待を裏切って北上をつづけ、ついに満洲里を通過したころ、失意の嘆声にみちた車中で、私一人だけは街角で拾った小さな日露会話の本で、警乗のソ連兵に露語を教わりながら、鉄のカーテンの彼方へ特派されたという、新聞記者らしい期待を感じていた。西シベリアの炭坑町に丸二年、採炭夫から線路工夫、道路人夫、建築雑役とあらゆる労働に従事させられながらも、逞しい私の新聞記者精神は、あらゆる機会をつかんではソ連人と語り、その家庭を訪問し、みるべきものはみ、聞くべきものは聞き、記者としての取材活動だけは怠らせようとしなかった。

雑誌『キング』p.106上段 幻兵団の全貌 国会の保護を要求

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.106 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.106 上段

=福島市中町三五=氏が出席しているので、場内は空席一つない盛況で、ピーンと緊張し切っていた。

『オイ、面白くなるゾ』

私は鉛筆を握りしめながら、隣席の同僚にささやいた。たったいま、小針証人が『委員会が国会の名において責任を持つなら、私はここで全部を申し上げます』と、爾後の証言内容について国会の保護を要求したところだった。

正面の岡元義人代理委員長をはじめ、委員席には一瞬身震いしたような反応が起こった。私も反射的にあるデータを思い浮かべて、不安と期待に胸が躍った。終戦時から翌年の六月まで、シベリア民主運動の策源地ハバロフスクの、日本新聞社の最高責任者、日本新聞の署名人であるコバレンコ少佐こそ、極東軍情報部の有力なスタッフではないか!

委員会は小針証人の要求により、秘密会にすべきかどうかを協議するため、午後二時二十九分、休憩となった。

私が小針氏の言葉で、反射的に思い浮かべたあるデータというのは、実に奇々怪々な話であった。それは他でもない、いわゆる〝幻兵団〟のソ