黒幕・政商たち p.218-219 O記者が河井検事の部屋に出入り

黒幕・政商たち p.218-219 検察内部の派閥抗争——岸本派の井本総長とその支持者池田代議士を葬らんとする、馬場派の河井次席検事と特捜部〝有志検事〟らの権力ろう断をさすものだ。
黒幕・政商たち p.218-219 検察内部の派閥抗争——岸本派の井本総長とその支持者池田代議士を葬らんとする、馬場派の河井次席検事と特捜部〝有志検事〟らの権力ろう断をさすものだ。

すると、「児玉と河井のデッチあげ説は森脇のデマ」というのも否定していることだ。検事が、児玉証人や暴力団員たちと、事前に準備した発言中に、「児玉と河井の共謀説」があったことは、一体何を意味するのであろうか。つまり前述した〝風聞〟を公式な形で否定しようとしたのか? しかし、新聞記事で見る限り、〝共謀説〟は却って裏付けされた感じがするのは否めない。

この時期、八月八日に「勝利」誌九月号が街に出てきた。ひろげてみると、「わが輩のケンカはこれからだ。邪道におちたか検事さん、私は納得できない」と題する、イケショウこと池田正之輔議員の一文がある。題名通りに、検察への〝挑戦〟的な文章だ。もっとも、すでにさる七月一日付で、法務大臣、検事総長への公開質問状と声明書が出されている。これも、もちろん「検察権力内部に巣喰う宿弊と、司法界の浄化・改革」のためのものであった。

池田代議士のいう〝宿弊〟とは、もちろん総長会食事件の報道のさいの、池田談話の趣旨である、検察内部の派閥抗争——岸本派の井本総長とその支持者池田代議士を葬らんとする、馬場派の河井次席検事と特捜部〝有志検事〟らの権力ろう断をさすものだ。

さて、これらの現象を時間的につづり合わせてゆくと、池田代議士の挑戦——河井検事のウィークポイントの〝風聞〟抹殺協議——児玉発言——池田代議士の再挑戦(勝利誌)——「財界展望」誌の原稿締切、と、八月中旬を中心に動きが出ているのである。

そして、さらに注目すべき事実がある。

日時は記録されていないので、正確には判らぬが、八月十日前後ごろ、福田幹事長の市村秘書のもとに、某週刊誌記者なる人物が現われた。O記者は福田幹事長に対し、大要「幹事長の身辺のことが、何か記事になって出るらしい。ほっておいてもいいのですか」と、〝誘い水〟をかけた。身辺のことが何であるかも、何処の記事になるのかも、具体的な話はしていない。

それは困る、何とかしてくれ。それでは私が調べましょう——と進めば、〝金〟が動いても恐喝にはならない。だが、市村秘書は断わった。O記者の〝売りこみ〟にのらなかったのである。というのは、私の調べたところでは、市村秘書は福田幹事長に、以前にクギをさされていた。「Oの話には乗るなよ」と。

司法記者クラブの多くの記者が、このO記者が河井次席検事の部屋に、しばしば出入りしているのを目撃している。そればかりではない。同席したある記者は、河井検事が「まあ、しっかりやりなさい」と励ましの言葉をかけ、O記者が退室したあと、「あんなのを信頼しているワケではない」と、弁解がましくいうのを聞いてもいる。

O記者について、「勝利」誌十月号は、「三和銀行猪原専務の日新製鋼副社長転出」事件という、特集記事をまとめて、その中に匿名で〝恐喝〟者として登場させている。この猪原専務転出の背景について、同誌「本誌特別取材班」は極めてセンセーショナルに、興味本位の取り あげ方をして、真相には、ほど遠い。総長会食事件のキッカケも、知名度の低い経済雑誌財界展望誌の記事であるから、O記者の〝活躍〟紹介と合わせて、ここに事情を述べよう。