黒幕・政商たち p.220-221 小佐野から大橋富重に伝わった

黒幕・政商たち p.220-221 そして、融資の名目で千三百万円をうけとったといわれる。うち、三百万円は、O記者の手にわたったとか…すでに警察が動いていた。それも、油井「実業界」社長の三和銀行恐喝事件としてである。
黒幕・政商たち p.220-221 そして、融資の名目で千三百万円をうけとったといわれる。うち、三百万円は、O記者の手にわたったとか…すでに警察が動いていた。それも、油井「実業界」社長の三和銀行恐喝事件としてである。

O記者について、「勝利」誌十月号は、「三和銀行猪原専務の日新製鋼副社長転出」事件という、特集記事をまとめて、その中に匿名で〝恐喝〟者として登場させている。この猪原専務転出の背景について、同誌「本誌特別取材班」は極めてセンセーショナルに、興味本位の取り

あげ方をして、真相には、ほど遠い。総長会食事件のキッカケも、知名度の低い経済雑誌財界展望誌の記事であるから、O記者の〝活躍〟紹介と合わせて、ここに事情を述べよう。

「三和銀行へ行ってみろ!」

ここに二人の〝トリ屋〟がいた。やがて二人は成長して、一人は鳥飼毅「財界展望」社長、一人は油井宏之「実業界」社長となった。三鬼陽之助「財界」社長が、東洋経済新報の記者出身というのは例外として、群小経済雑誌の社長は、いわゆるA級経済誌か老舗社の営業出身。

油井社長は、小佐野賢治国際興業社長と同郷のため、経営的には小佐野社長、政治的には中曾根代議士をバックにして、今日の「実業界」誌を築いたと自称している。

大橋事件の主人公、大橋富重興亜建設社長は、事件後にボス児玉氏の不興を招いたらしい。児玉系列の人々は、「児玉さんに見放された大橋はダメ」と、極言する。一方、「児玉さんは吹原から五反田ボーリング場を取りあげて、平本一方にやらせたように、大橋から興亜建設をとりあげて、Oにやらせようとしている」と、語る人もいる。ついでながら、「Oが河井検事のもとに出入りするのは、児玉さんのお使い役のマッチポンプさ」と見る人もいる。

さて、そのような〝情報の渦〟の中で「勝利」誌が活字にした、次のような話が私のもとにもたらされた。

やがて、話は小佐野氏からT氏(注。大橋富重)に伝わった。氏は人も知る財界のアウトロー。つねに黒いウワサの渦中にもまれた人物である。

T氏は、その一部始終をA社の週刊誌記者Oに話し、『三和へ行ってみろ、おもしろいゾ』と、つけ加えた。O記者が取材にいったころあいを見はからってT氏みずから村野氏(注。三和銀行副頭取)に面会を申しこんだ。そして、融資の名目で千三百万円をうけとったといわれる。うち、三百万円は、O記者の手にわたったとか…」

「勝利」誌十月号はこのように書いているが、私も〝情報〟としてこれを知り、すぐ取材に着手した。調べてみると、すでに警察が動いていた。それも、油井「実業界」社長の三和銀行恐喝事件としてである。

三和首脳部は、渡辺会長、上枝頭取、村野副頭取の三人で動かしている。猪原専務の他にも、中井専務も出たし、特別に〝追い出し〟劇を仕組む必要はないし、第一、渡辺忠雄会長の人柄からみて、かつ、その二十年の実績からいって、人事の内紛が起こり得ようハズがない。「財界」三鬼氏の筆によると、「渡辺会長の政治家嫌いは徹底していて、財界関係のパーティでも、政治家が現われるとサッサと帰ってしまう。もう少し何とか…」というほどである。

さて、児玉氏に見放され、〝財界アウトロー〟の孤児となった大橋氏は、千葉県浦安沖に貯木センターを造る、と計画して、前島銘木店に話をもちこんだ。何とか、金を回さねばならぬ

からである。ここで前借を一億円ほどもしたといわれる。一方、三和にも何かといいよったらしいが、三和が相手にしない。