赤い広場ー霞ヶ関 p.194-195 馬場機関の清水郁夫

赤い広場ー霞ヶ関 p.194-195 It was Ikuo Shimizu who guided Domnitsky and Chasovnikov to the Hatoyama residence. According to Akahata, Ikuo Shimizu is a member of the Baba syndicate that made by Yusuke Baba, who is the agent of the US intelligence agency.
赤い広場ー霞ヶ関 p.194-195 It was Ikuo Shimizu who guided Domnitsky and Chasovnikov to the Hatoyama residence. According to Akahata, he is a member of the Baba syndicate under the control of the US intelligence agency.

しかし、心配はない。案内役がいたのである。

この時、車で乗りつけたのは三人連れであった。ド氏とチャ氏、そして残るもう一人は日本人であった。この日本人を目撃した治安当局の係官は、何者であろうと考えていた。すると、ド氏の到着を待ちかねたように、また一人の日本人が現れて、車から降り立ったド氏を、裏玄関へと案内した。

コツコツ。ドアをノックするまでもなく、扉は開いて、一人の日本人がド氏を迎え入れた。この三人目の男は、扉をしめると鳩山首相のもとへと案内していった。この男は多分二人の会見にも立会したのであろう。

この三人の日本人は、もちろん、華々しく話題となっていた、馬島、藤田、杉原、風見氏などのような人物ではない。無名人である。有名人は舞台の俳優のようなもので、視線をそこに集中させるための、ピエロである。

この〝奇怪な三人〟について、私もあまり正確な知識を持っていない。第一、この三人がある一つの意志のもとに、各人の間、或いは各人の背後で、連絡をもっているのかどうかさえ、私には分らない。

まず、第一の男。これは当局の係官が目撃している。そして以前からソ連代表部に出入りしていた男の顔と一致するので、当局ではこの男を「清水郁夫」と断定した。

清水郁夫という名前は、前々章の「先手を打つアカハタ」の項(四八頁)に登場してきている。そこで古いアカハタを調べてみた。「日本にもはびこる米諜報網、元皇族、国警長官も登場、破壊と陰謀の巣〝馬場機関〟」という大変な見出しの記事の中に、この清水氏が紹介されている。

この二十八年七月三日付のアカハタによると、米諜報機関の手先である、元上海特務機関員馬場祐輔氏の馬場機関員で、大正十三年生れのハルビン学院出身。しかも、二十七年四月一日号の日本週報で、「電源をスパイする二人の怪紳士」として紹介された男で、この時は、電産で活躍していたシベリヤ・オルグ宗像創氏をダマクラかして、日共の武装蜂起の危機宣伝のため、宗像氏を引張り出したほど悪質な男だと書いている。

こうして、一度アカハタに取上げられた清水氏が、再び「馬場機関の清水郁夫」として、アカハタに書かれ、しかも、ド、チャ両氏と同車して、音羽へ現れているのだ。

本人に会ってみた。『飛んでもない。私は馬場先生の秘書ではあるが、馬場機関などというものはない。あるとすれば、『秘書格の私一人が機関員です』といいながら、『音羽へ行ったなんて、何かの間違いでしょう。私は青二才で、そんなエラクないですョ』と笑う。

本人の語る経歴は、ハルビン学院卒、満州石塔の幹候隊在隊中、軍曹で終戦となった幹候十

三期生、ウォロシロフ付近の炭坑作業の収容所にいて、二十二年四月に引揚げてきたという。