日ソ交渉」タグアーカイブ

赤い広場ー霞ヶ関 p.096-097 山本調書に都倉栄二の名も

赤い広場ー霞ヶ関 p.096-097 Rastvorov did not evaluate Eiji Tokura at all. why?
赤い広場ー霞ヶ関 p.096-097 Rastvorov did not evaluate Eiji Tokura at all. why?

ことほどさように、一度でもソ連の地を踏んだことのある外交官、記者、会社員などで、ソ連に対する忠誠を誓わせられなかったということは、極めてまれなことなのである。

全権団随員という、栄えある立場にある都倉氏に対しては、誠に申訳ない限りであるが、同氏もまたその例外ではなかったのであろう。ともかくラストヴォロフの供述として「山本調書」に氏の姓名が記されていることは、事実なのであるから。

つまり、私が志位対吉野の関係で、日暮対庄司を想い浮べ、また都倉氏を想い出したというのは、同氏に関するラストヴォロフの告白が、同氏を全く評価していないからであるのだ。

ラ氏によれば、彼は東京で都倉氏に連絡をつけたのだったが、都倉氏は全くこれに応じなかったというのである。これは日暮氏が反共理論家として有名な存在であったのと同様に、省内外に聞こえた〝右翼〟である都倉氏にとって、極めて有利なラストヴォロフの供述である。

もちろん、ラ氏が都倉氏を評価しなかったという供述があったればこそ、外務省当局もまた、氏を、全権団随員の一人に加えたのでもあろう。これは、都倉氏にとって名誉なことである。また、練達の外交官であり、一つの科学にさえなっているソ連秘密機関の誘惑術をも、敢然と拒み通した同氏が、多難の日ソ交渉に力をいたすことに大いに、期待するものである。

ある治安当局の一幹部はラストヴォロフ・スパイ事件捜査の経過を顧みながら、こう述懐していた。

『捜査の基礎となったものは彼の供述(註、山本調書)であるが、全般的な捜査の経過と結果とから考えてみると、どうも氏はすべてを告白していないという気がしてならない』

モスクワに残してきた妻子の安全を願うが故に、「彼(註、ラ氏)の指摘するところによれば、ソ連内務省が彼の的確な所在ないし、地位について疑問を抱いている限り、彼らは恐らく、彼の八才になる娘に対して、残酷な行動に出ることはないであろう、とのことでありました」(米大使書簡)「なかんずく同人の自発的離脱がソ連内務省に確知された場合、同人の家族に危害の及ぶことを恐れ、可能な限り単なる失踪として、取扱われたいという本人の強い希望に基き」(日本政府発表)と願ったラストヴォロフは、どうして失踪以来半年を経て「亡命」であることを、発表することに同意したのであろうか。 この半年の間に彼の妻子の安全は、如何に確認されたのであろうか。濠洲のペトロフ大尉の亡命のように、本国へ連行される夫人を奪取したというのならばうなずけよう。アメリカの秘密機関は、モスクワからラ氏夫人と愛娘とを救出して、同様本国へ連れてきたというのだろうか。そんなことはあり得まい。二十九年一月二十四日のラ事件以後、彼の妻子の消息については全くニュースがないのである。

赤い広場ー霞ヶ関 p.188-189 交渉地は第三国ロンドンに

赤い広場ー霞ヶ関 p.188-189 Japan proposed New York as a candidate site for the Japan-Soviet conference, but the Soviet Union refused. Because the information goes through the US Department of State.
赤い広場ー霞ヶ関 p.188-189 Japan proposed New York as a candidate site for the Japan-Soviet conference, but the Soviet Union refused. Because the information goes through the US Department of State.

二月十六日   ドムニッキー代表、第二回音羽訪問「日本側の最適地」という好意回答、沢田大使へニューヨーク交渉の接衝指令

二月十七日   モスクワ放送、交渉経過を発表

二月二十三日  沢田大使「ニューヨークに同意を確認」の口上書を手交

三月三十日   沢田大使、ソ連の回答督促

四月四日    ソボレフ大使「回答はドムニッキー首席を通ずる」旨通告

四月六日    鳩山首相は記者会見で「四日に松本俊一氏がドムニッキー氏から回答を受取った。交渉地は再びモスクワか東京を提案している」旨を語る。重光外相は衆院外務委で「モスクワ又は東京に同意したことはない」旨説明、外務省として「ソ連の真意了解に苦しむ」と発表

四月七日    モスクワ放送は、ソ連外務省声明を発表、重光外相を非難

四月八日    沢田大使「重ねてニューヨークを希望」の口上書を手交

四月十八日   ソボレフ大使「交渉地に第三国、ロンドン又はジュネーヴ」の回答を沢田大使へ手交

四月二十日   英外務省「ロンドン交渉は自由である」と発表

四月二十三日  十八日のソ連提案に対し沢田大使より「ロンドンを撰択」と回答

四月二十五日  ソボレフ大使より回答、ロンドンに日ソの合意成立、交渉開始は六月はじめを提案

この経過をみても分る通り、交渉開始のキッカケは、元ソ連代表部首席のドムニッキー氏の異常なまでの積極的工作で始められている。久原氏もまた、会長就任以米、極めて積極的で、『日中、日ソ関係なくして、日本の繁栄なく、鳩山にできねばオレがやる』と語った、といわれるほどの熱の入れようであった。

経過をみると、二月十七日のモスクワ放送以来、四月四日の回答まで、約一ヶ月半もの間、ソ連側は動いていない。しかも、四日の回答は、再びモスクワ又は東京で、七日にはモスクワ放送で、二月七日の鳩山九州談話をとりあげて、重光外相を非難している。

ところが、その非難から十一日目の十八日には、第三国案を提示してきている。この間の動きが大切なところである。四月八日付東京新聞によると、坂井共同特派員はタス通信のワシントン主任ボルシャコフ記者に対し『何故ニューヨークをきらうか』とたずねたところ『米国務省に筒抜けだから』と答えている。

国際会議こそ、大きな諜報と謀略の場である。ニューヨークで〝アメリカへ筒抜け〟ということは、ソ側が充分に働けないということである。モスクワ又は東京であるなら、ソ側は充分に働けるのである。モスクワはもちろんであるが、東京もまた、それだけの自信があったのであろう。つまりモスクワ又は東京で、アメリカの援助なしに、日本独自でやるならば、日本全権団などはハダカ同然だというのである。

赤い広場ー霞ヶ関 p.192-193 ロンドンはソ連の思惑通りか

赤い広場ー霞ヶ関 p.192-193 Was the confidential document of the Japan-Soviet negotiations passed to the Soviet Union via the UK? Is the Soviet Union and the UK cooperating?
赤い広場ー霞ヶ関 p.192-193 Was the confidential document of the Japan-Soviet negotiations passed to the Soviet Union via the UK? Is the Soviet Union and the UK cooperating?

鳩・メ会談で大体妥結の見通しをもったソ側では、十八日ソボレフ大使を通じて沢田大使へ

「ジュネーヴ又はロンドン」を回答してきたのである。

日ソ交渉に関してソ連の沈黙の時期と、多数の日本人スパイを手先に持っていた、在日経験のあるスパイ組織者のソ連エカフェ代表たちが、日本国内にいた時期とが符合するのは、果して偶然にすぎないだろうか。

こうして、二十日に英外務省の発表があって、ロンドンが決定した。

ニューヨークが容れられなかった日本にとって、ロンドンは次善の策であろう、しかし、モスクワ、東京、ジュネーヴが容れられなかったソ連にとっては、果してロンドンは次善以下のものであろうか。

世界に冠たるものは、英国の諜報機関であり、英国はアジヤにおいて、香港を軸として自由共産の両世界を結び、従って英国は対米という点では、ソ連と握手しているという原則と同時に、次の事実で読者の注意を喚起しておきたい。

日ソ交渉の最中のことである。外務省の某幹部が、暮夜ひそかに一名の英国人と会った。彼は日ソ交渉に関する、外務省、すなわち日本政府の機密文書をはじめ、各種の資料を提供してその英国人の意見を叩いた。

英国大使館員で、レッドマン二等書記官という、情報担当の日本通がいる。彼は日ソ交渉の

始まる前に濠洲に向けて、旅行に出発した。彼は濠洲で直に飛行機をのりかえて、ロンドンに向った。

レッドマン書記官がロンドンに到着して、ホンの数日後、マリク大使は急ぎモスクワに帰った。マリク大使が、モスクワからロンドンへ帰任して、日ソ交渉が始ったのである。

これらの時間的経過をみてみると、これもまた偶然の暗合であろうか。ソ連にとって、果してロンドンは、どのような価値を有するものだろうかと、これらの事実を、われわれ日本人はどう判断すべきなのだろうか。

三 鳩山邸の奇怪な三人

日ソ交渉で日本中が騒いでいた二月十六日のひるごろ、ドムニッキー元代表部首席は、チャソフニコフ二等書記官を伴って、第二回目の鳩山邸訪問を行った。

この訪問はド氏の裏口戦術といわれ、二月十七日付朝日「記者席」の記事によると「タクシーで音羽の鳩山邸にのりつけ、裏玄関から入った。それから数分、USSR第一号の元ソ連代表部の車が迎えにきて、ド臨時首席はこの車で帰ったが、警戒に当っていた連中も、ほとんど気付かなかったほどの早業」という。

どうしてド氏は鳩山邸の裏玄関まで知っていたのだろう。この記事を読めば、当然起ってくる疑問である。しかし、心配はない。案内役がいたのである。

赤い広場ー霞ヶ関 p.194-195 馬場機関の清水郁夫

赤い広場ー霞ヶ関 p.194-195 It was Ikuo Shimizu who guided Domnitsky and Chasovnikov to the Hatoyama residence. According to Akahata, Ikuo Shimizu is a member of the Baba syndicate that made by Yusuke Baba, who is the agent of the US intelligence agency.
赤い広場ー霞ヶ関 p.194-195 It was Ikuo Shimizu who guided Domnitsky and Chasovnikov to the Hatoyama residence. According to Akahata, he is a member of the Baba syndicate under the control of the US intelligence agency.

しかし、心配はない。案内役がいたのである。

この時、車で乗りつけたのは三人連れであった。ド氏とチャ氏、そして残るもう一人は日本人であった。この日本人を目撃した治安当局の係官は、何者であろうと考えていた。すると、ド氏の到着を待ちかねたように、また一人の日本人が現れて、車から降り立ったド氏を、裏玄関へと案内した。

コツコツ。ドアをノックするまでもなく、扉は開いて、一人の日本人がド氏を迎え入れた。この三人目の男は、扉をしめると鳩山首相のもとへと案内していった。この男は多分二人の会見にも立会したのであろう。

この三人の日本人は、もちろん、華々しく話題となっていた、馬島、藤田、杉原、風見氏などのような人物ではない。無名人である。有名人は舞台の俳優のようなもので、視線をそこに集中させるための、ピエロである。

この〝奇怪な三人〟について、私もあまり正確な知識を持っていない。第一、この三人がある一つの意志のもとに、各人の間、或いは各人の背後で、連絡をもっているのかどうかさえ、私には分らない。

まず、第一の男。これは当局の係官が目撃している。そして以前からソ連代表部に出入りしていた男の顔と一致するので、当局ではこの男を「清水郁夫」と断定した。

清水郁夫という名前は、前々章の「先手を打つアカハタ」の項(四八頁)に登場してきている。そこで古いアカハタを調べてみた。「日本にもはびこる米諜報網、元皇族、国警長官も登場、破壊と陰謀の巣〝馬場機関〟」という大変な見出しの記事の中に、この清水氏が紹介されている。

この二十八年七月三日付のアカハタによると、米諜報機関の手先である、元上海特務機関員馬場祐輔氏の馬場機関員で、大正十三年生れのハルビン学院出身。しかも、二十七年四月一日号の日本週報で、「電源をスパイする二人の怪紳士」として紹介された男で、この時は、電産で活躍していたシベリヤ・オルグ宗像創氏をダマクラかして、日共の武装蜂起の危機宣伝のため、宗像氏を引張り出したほど悪質な男だと書いている。

こうして、一度アカハタに取上げられた清水氏が、再び「馬場機関の清水郁夫」として、アカハタに書かれ、しかも、ド、チャ両氏と同車して、音羽へ現れているのだ。

本人に会ってみた。『飛んでもない。私は馬場先生の秘書ではあるが、馬場機関などというものはない。あるとすれば、『秘書格の私一人が機関員です』といいながら、『音羽へ行ったなんて、何かの間違いでしょう。私は青二才で、そんなエラクないですョ』と笑う。

本人の語る経歴は、ハルビン学院卒、満州石塔の幹候隊在隊中、軍曹で終戦となった幹候十

三期生、ウォロシロフ付近の炭坑作業の収容所にいて、二十二年四月に引揚げてきたという。

赤い広場ー霞ヶ関 p.198-199 「第二、第三の男は?」

赤い広場ー霞ヶ関 p.198-199 When I abandoned further research, the analyst told me. “It ’s better not to touch it. You also have a wife and a child ... ”At that moment, a terrible ran through my spine.
赤い広場ー霞ヶ関 p.198-199 When I abandoned further research, the analyst told me. “It’s better not to touch it. You also have a wife and a child…” At that moment, a terrible ran through my spine.

『先日亡くなった母は、鹿児島にいました。もちろん、戸籍上も清水郁夫ですよ。父は大陸で働いていて、引揚げてきて亡くなりました』

黒幕とみられている有名政治家が、実は彼の手先なのだッて? では一体……

私は再びアナリストに会った。

『第二、第三の男は?』

『第三の男、これは、鳩山、ドム会談に立会っているはずだ。この男も自称清水というンだ。しかし、本名は頭文字Oで、某政党の大立物S氏の関係者らしい』

『そのOとかSとかの本名は?』

『それはいえない。第二の男、ド氏を裏玄関へ案内した男、この男の正体は、いまもって分らないンだ……』

『前にアタった当局の係官は、清水郁夫の身許を、トコトンまで調べないうちに、上から止められたといっていたが、これはどうしてなンだい? S氏の線かね?』

『それは、わしにも分らない。きっとズットズット上の方で、納得がいっているからだろう。役人は上のいうことは、何でもきかなきゃいけないからネ、服務規律にそう書いてあるヨ』

もはや、これ以上は私には調べられなかった。もちろん、訊ねてみたって、国警長官も警視総監も、正直に打明けてはくれない。或は、彼らだって、そのワケは知らないかもしれない。警察は法律の執行体であって、政治家ではないのだから……。

ともかく、私の得た結論では、この鳩山邸の〝奇怪な三人〟については、なみなみならぬ高等政治によって、登場させられてきた男たちだということであった。

私がこれ以上、〝奇怪な三人〟について調べることを断念したとき、口籠ってばかりいた例のアナリストは、ホッとしたような表情で、私にいった。

『よかったですナ。アレはさわらん方がいいですよ。貴方も、奥さんや子供さんがいるンだから……』

私は、瞬間、〝恐怖〟が稲妻のように、背骨を走り抜けたように感じた。

『エッ!』

ニコヤカに微笑んだつもりだったが、顔の筋肉は醜く硬張っていたらしい。

四 日本の〝夜の首相〟と博愛王国

日ソ交渉が具体的に動きはじめた、二十九年十二月から、二、三ヶ月前のことだった。

当時まだ警視庁記者クラブ詰だった私は、ある日女性の電話に呼び出された。

『実は、Q氏(米人)に関してお話を承わりたいのですが、御都合如何でございましょう』

第一回菊池寬賞を受けてから、「東京租界モノ」は読売の専売特許であった。この女性は、読売本社に電話して、それならば警視庁クラブの三田記者に聞けと教えられ、今、こうして私

を呼び出したのであった。

赤い広場ー霞ヶ関 p.204-205 今日限りで何もかもお終いです

赤い広場ー霞ヶ関 p.204-205 I wanted to know what caused this Masonic executive conflict. This is a serious problem. Now, on the earth divided into two worlds, liberalism, communism, and the ties that connect them are Jewish Freemasonry.
赤い広場ー霞ヶ関 p.204-205 I wanted to know what caused this Masonic executive conflict. This is a serious problem. Now, on the earth divided into two worlds, liberalism, communism, and the ties that connect them are Jewish Freemasonry.

Q氏は米軍の軍曹で、現地除隊をして日本に住みついてから、メーソンに入り異例の出世で

三十二階級まで上っていった人物だ。しかし、いろいろと問題の多い人で、彼の出世を快く思わぬ他の幹部が、彼を蹴落すための資料に違いない。

しかも、東京租界はクラブ・マンダリンの国際バクチでお馴染みの、マニラのギャンブル・ボス、テッド・ルーイン氏の一の子分、モーリス・リプトン氏もメーソンで、このマソニック・ビルに住んでいたではないか。

私はこのメーソンの幹部の対立が、何に原因するのか知りたかった。重大な問題であるからだ。今、自由、共産と二つの世界に分れた地球上で、思想も政治も、国境も国籍も越えて結ぶ紐帯は、ユダヤのフリー・メーソンであるからだ。まず第一報として、渋谷のフォーリン・ビジネスメンズ・クラブの国際バクチの、公判の成行にひっかけて、Q氏行状記の記事を書いたのだった。

続いて、この背後にあるメーソン幹部の対立を取上げようとして、忙しく働らいていたある日、珍らしく彼女から電話があった。夕食を御一緒にしたい、という話だった。願ったり、叶ったりである。

その夕べ、私は彼女と二人で銀座のある地下室の、高級レストランで、たのしい夕食をとっていた。

彼女の招待だから、食事が終ったら、別の場所へ誘って、ゆっくり話をきこうと考えながら、それでも、

『Q氏の記事、みた?』

と、親し気な口調でたずねたりした。

デザートが終り、コーヒーをほして、サテと立上った。御馳走様と礼をのべて、誘ひの言葉を続けようとしたとき、彼女は、犯し難いほど、重々しい気品にみちた表情に変った。

『やっぱり、私たちは、お友だちになれませんでしたワ。……ネ、今日限りで、何もかもお終いです』

『エ? だって……』

『何にも仰言らないで…。貴方に何も彼もお話してあげたい。貴方のその喉元まで、何故、何故、何故という声が、いっぱいに詰っているのが、眼に見えるのです……。

しかし、私にはそれができません。そして、私も、貴方とお別れしなければなりません。新聞記者でありすぎる貴方と、メーソンの幹部のことを知りすぎている私とは、お友だちでいることさえ、おたがいにとって不幸なのです』

私は立ちすくんだまま、彼女の差出した別れの握手に応えていた。

『それから、Q氏のことはもう不用です。御手数をかけました。……では、サヨウナラ』

赤い広場ー霞ヶ関 p.212-213 一国の宰相が下から三階級

赤い広場ー霞ヶ関 p.212-213 In the fall of 1952, I was investigating a Masonic Jewish trading company in connection with the "Tokyo Concession". At that time, I wondered, "Where will the profits of millions of yen earned from many crimes go?"
赤い広場ー霞ヶ関 p.212-213 In the fall of 1952, I was investigating a Masonic Jewish trading company in connection with the “Tokyo Concession”. At that time, I wondered, “Where will the profits of millions of yen earned from many crimes go?”

極東のフリー・メーソンの中に、日ソ交渉についての二つの意見が対立していた。それが二十九年秋ごろのことである。オシアス氏は三十三階級でもあり、一方の意見の旗頭であった。

反対派はオシアス氏直系の、シャタック氏が、バクチ打の仲間であることを理由に、オシア

ス系勢力を叩こうとした。そして、私の逢った〝ナゾの女性〟に、その資料収集を命じた。しかし、オシアス派は強かった。

私が、ウダウダと引延しているうちに、この暗斗に決が下った。オシアス派が勝った。それは、或は「博愛王国」のライアント国王の決であったかも知れない。

そして、予定通り、日ソ交渉は滑り出した。最下級鳩山一郎氏の功績である。かくて、論功行賞が行われた——これが、私の白日夢であれば、幸いである。

朝日の「素描」氏は、MRAのデモをみて感心しながらも、『こんな金と暇はどこからでるのだろう』と疑問を感じている。まさに「素描」氏が感じたのと同じ疑問を、私は二十七年秋の東京租界の取材中に感じた。

米国籍人であるメーソンのユダヤ人商社についてである。脱税、ヤミドルなど、悪事の限りをつくして稼いだ、何億何千万円という利益が、彼らのどこに入っていくのだろうかということである。

これをMRAと結びつけて考えることは、果して不謹慎であろうか。

本筋へもどろう。ソ連政府にも、またアメリカにも、英国にだって、メーソン会員は多い。先ほど紹介した英国のレッドマン氏も、お名前から考えるとユダヤ系のように思えるが。……

私は、メーソンについても、MRAについても正確な知識を殆ど持っていない。従って誤りがあれば許して頂きたい。

しかし、メーソンに階級があるからには、階級の必要があるのであろう。一国の宰相が下から三階級ということは、一体どういうことだろう。旧軍隊でいえば、上等兵である。見習士官を加えても、元師は第十九階級である。メーソンに命令に対する服従の義務があるならば、鳩山首相は困られはしないだろうか。

鳩山首相は、われわれ日本国民の首相である。決して「博愛王国」や、「消えて行く島」のアイラブミー国や、ウイへィチウ国の、上等兵でもなければ、外交官補でもない。

近くバンコクで、極東フリー・メーソンの大会が開かれる。もちろん、メーソン大会などとは名乗らない。果して日本代表として、彼の地へ現われるのは誰であろうか。

メーソン会員として、名の出ている日本人の最高位は、笠井氏と同じく三十二階級である。では、日本人で三十三階級の人物はいないだろうか。

もし、私の判断が誤っていれば、読者にお詫びしたい。頭文字Kの人、この人こそそうではないかと思う。

〝奇怪な三人〟を調べたときの、アナリストの忠告と、地下の高級レストランで別れた〝ナ ゾの女性〟の表情とを想い浮べて、私ももうここらで筆を擱かねばならない。

赤い広場ー霞ヶ関 p.214-215 スパイは奇異なものではない

赤い広場ー霞ヶ関 p.214-215 What works behind the negotiations between Japan and the Soviet Union---is it Siberian Organizer, Freemasonry, or the Cannon Unit of CIA, or even the British Secret Intelligence Service?
赤い広場ー霞ヶ関 p.214-215 What works behind the negotiations between Japan and the Soviet Union—is it Siberian Organizer, Freemasonry, or the Cannon Unit of CIA, or even the British Secret Intelligence Service?

〝奇怪な三人〟を調べたときの、アナリストの忠告と、地下の高級レストランで別れた〝ナ

ゾの女性〟の表情とを想い浮べて、私ももうここらで筆を擱かねばならない。

日ソ交渉のかげに蠢くもの——それは果して、かいらいを操るシベリヤ・オルグか、フリー・メーソンか、或はまた、元キャノン機関シャタック氏を先頭とする米CIAか、或はさらにまた、レッドマン氏に代表される英国秘密機関か?

いまや、われわれの首都東京は、諜報と謀略の渦巻く、トオキョオ租界と化してしまった。

スパイ事件が起ると、世の知識人たちは必らず『日本にスパイされるような、機密があるのかい?』と、皮肉まじりにいわれる。そしてまた、各主管大臣たちは、国会で『秘密はありません』と、答弁する。

確かに、現在の日本には、法律に定めた国家機密はない。MSA兵器の秘密保護法、駐留軍秘密の刑事特別法の両法が、指定する秘密は要するに、アメリカの秘密であって、日本の秘密ではない。

では、一体ラストヴォロフ氏は、日本から何をスパイしていたか? 個人的にいえば、日暮氏を通じては、欧米局ロシヤ課に集まる、各地の大、公使館からのソ連情報、駐在国のソ連観や、大、公使などの情勢報告書、および本省のそれに対する見解などがある。また、内調に集る元国警や、検察庁、警視庁、防衛庁など治安機関をはじめ、労働省、運輸省、文部省など、一般行政官庁からの国策決定の各種治安情報文書をみることができたので、それらだろうという。

庄司氏は、駐留軍のキャンプ設置場所、宿舍の設備など、駐留軍との外交接衝やら、米軍と防衛庁との連絡事項が担当だったので、同様それらがラ氏の役に立ったとみられる。

これでも分る通り、また私が第一集「迎えにきたジープ」から、全篇を通して主張してきた通り、スパイとは決して奇異なものではないということ。つまり、大使館に忍びこんで、金庫から機密書類を盗む、といったような、大時代的なものではない。

どんな片々たる、頭も尻尾もない話でも、それが、組織的に処理される限り、重大な事実を示す〝情報〟であり、この情報を、意識的、系統的、に集めることが「諜報」であるということである。

謀略もまた、鉄橋をダイナマイトで破壊したりすることばかりではない。また、そんなのは

下の下たるものであるが、やはり、謀略というと、大時代的な感覚しかなくて、軽べつ感が先に立つ。

しかし、ラ氏の亡命とか、シベリヤ・オルグの活躍とか、久原翁の引出しとか、すべてこのように、ある目的をもって、所期の事実を、自然に作り出すのが「謀略」である。

赤い広場ー霞ヶ関 p.224-奥付 Imprint

赤い広場ー霞ヶ関 p.224-奥付 Imprint Red-Kasumigaseki July 30, 1955 1st printing issue ¥ 130 Author: Kazuo Mita Publisher: Hiroshi Noroyama Publishing house: 20th century company 3-13 Kanda Jimbocho, Chiyoda-ku, Tokyo TEL 33 4356 Printer: Seiichi Niikura Bookbinder: Tanishima bookbinding We will replace missing pages and random pages.
赤い広場ー霞ヶ関 p.224-奥付 Imprint Red-Kasumigaseki July 30, 1955 1st printing issue ¥ 130 Author: Kazuo Mita Publisher: Hiroshi Noroyama Publishing house: 20th century company 3-13 Kanda Jimbocho, Chiyoda-ku, Tokyo TEL 33 4356 Printer: Seiichi Niikura Bookbinder: Tanishima bookbinding We will replace missing pages and random pages.

この集を手にされた方は、是非、第一集「迎えにきたジープ」も、読んで頂きたい。この日

ソ交渉にいたる経過は、終戦時のシベリヤにさかのぼらねば、本当に理解できないのだから。

そして、この著によって、外国に対する新しい見方が生れることを願い、それが日本のために何らかの形で益するならば幸である。

なお、お断りしておかねばならないのは、この著はあくまで私個人の責任において、私の記者生活メモを整理したものであって、読売新聞記者という責任で書いたものではないということである。従ってこの著によって起きてくる問題の一切は、読売新聞社には全く関係がなく、すべて著者個人の責任である。

昭和三十年七月    四巨頭会談の日

三田和夫

著者略歴

大正9年  盛岡市に生る・日大芸術科卒

昭和18年 読売新聞入社・社会部記者となる

昭和22年 シベリヤより引揚・復職

法務府・国會・警視庁各記者クラ

ブを経て、現在通産省・農林省記

者クラブ詰

赤い広場—霞ヶ関

昭和30年7月30日 第一刷 発行   ¥130

著 者 三田和夫

発行者 野老山宏

印刷者 新倉誠一

禁無断

転載・演劇

映画・放送

発行所 東京都千代田区神田神保町3—13

20世紀社

TEL 33 4356

落丁・乱丁はお取替えします

製本 谷島製本