赤い広場ー霞ヶ関 p016-017 矛盾だらけの屍体検案書

赤い広場ー霞ヶ関 16-17ページ 屍体検案書 身体一面塩虫に喰われたる小穴あり、死因となるべき外傷なし、水をのんだもようなし。溺死と推定されるも不明
赤い広場ー霞ヶ関 Postmortem report

検屍調書を覗いてみよう。死体拾得の状況その他のほか、『死後約十五日を経過、死亡日時

は推定五月二十五日ごろ。拾得状況及び死体による損傷部なく、他に何ら異状なし、溺死と認めらる』となっている。

また、稚内市の医師、福井谷牧太郎、牧野主孝両氏の屍体検案書は次の通りである。

検案書

氏名、住居不詳、年令二十二才位

性別 男

特徴 1 下右奥第一臼歯欠損

2 左手甲に刺青(径八分)

3 左手前膊外側部刺青(四寸)

4 下顎部脱落

5 左眼球僅かに碧色なるを示す

6 身体一面塩虫に喰われたる小穴あり

7 死因となるべき外傷なし

8 水をのんだもようなし

9 身長一六八糎、肩巾四〇糎、胸囲九二糎、体重六〇瓧(推定)

10 頭髮は黒味がかった茶色で、上部で長さ一寸五分位、他は普通刈込み

11 皮膚色桃白色にして欧人の色

12 陰毛、脛毛、薄茶疎毛

13 体格中肉にして、栄養甲にして、鼻高く眼碧く、皮膚、頭髪、所持品よりしてソ連人と認める

所持品、紙幣一六枚、硬貨二枚、手紙三枚、身分証明書二通

着衣、軍外衣、上衣、下衣、各一、いずれも国防色、コバルト色シャツ、アイ色猿又一、革べルト二、革長靴一、足卷(註、靴下代用の布でグルグルと足に巻く、ソ連人の殆どが靴下ははかない)四、襟章、肩章一組

溺死と推定されるも不明。

現場ではとりあえず以上のような処置をとり、さて今後如何にすべきかと迷った。

読者もこの検屍調書、および屍体検案書を読んでみて、実に幾多の疑問や矛盾を感ずるに違いない。その疑問や矛盾は国警側のそれに通ずるのであるが、 それは後にして話の筋を急ごう。

これらの書類は直ちに海上保安庁に送られ、保安庁からすぐ外務省に連絡がとられた。ソ連と日本との間には外交関係がない、ということが外務省にとっては頭痛のタネである。 外務省では直ちに会議を開いて、欧米五課の高橋事務官を現地に派遣した。事件への根本方針は『元ソ連代表部への通報は、代表部が外交機関ではないから差控える。