ピアノの椅子にかけたまま、先生は、両腕で私を抱え、唇を寄せてきた。
——大きな声で叫んで、逃げ出そうか?
——それとも、このまま、なすにまかせて、いるべきか?
シェークスピア劇の主人公のようなセリフが、私の脳裡に浮かんだ。
だが、つづいて、私は、驚くべき決心をしていたのだった。
——いったい、オカマというのは、どんなことをするのだろうか。ことに、相手は〝その道〟の大家ではないか。
——この絶好のチャンスを逃すべきではない。
いまになって考えてみると、当時から私は、〈旺盛なる社会部記者・魂〉の持ち主であったようだ。
同時に、私が読売新聞を退社するキッカケになった、「安藤組事件」のように、虎穴に入って虎児をつかむような、体当たり取材の精神が、双葉のうちから育くまれていたようだ。
——そうだ。チャンスだ。ここで逃げ出さずに、もう一歩踏みこんで、ナニが起こるのか、確かめるべきだぞ!
瞬間のうちに、そう判断し、決断を下した私は、まだ童貞だったというのに、この老ピアニストの唇の愛撫を、顔面いっぱいに受けていた。
彼は、私を抱いたまま立ち上がらせ、私のモノをまさぐりつつ、私の片手を誘導していくではないか。
次の瞬間、私の手は、あたたかく、柔らかいものに触れていた。
事態を認識した私は、それでも〝奇妙なエクスタシー〟におぼれながら、心の片隅で呟いていた。
つまらん! 初体験
——なんだ、つまらん! オカマなんて!
つまり、私が〝初体験〟の興奮と、〝新聞記者的好奇心〟に駈り立てられていた〈オカマの実態〉とは、単なる、センズリのカキッコに過ぎなかったのである。
大音楽家の自邸の、広い豪華な応接間の、グランドピアノの傍らでの〈立ちカキ交響曲〉は、終曲へと近づいていた。
コンダクターは、ズボンのポケットからハンカチを取り出して、〝第一バイオリン〟の先端を包み、〝奏者〟には、自分の胸の絹ハンカチを取って、自分の〝タクト〟を押えるように指示した。
軽い、小さな叫びが聞えて、コンダクターの指揮棒は、こまかく震えた。……演奏は終わったのである。〝楽員〟も、コンダクターと同時に、演奏を終えたのだった——。
先生は、二枚のハンカチを手にして、バスルームへと、私を誘った。
「手を洗いなさい」と、ゼスチュアで示して、先生も、自らそうした。ハンカチは、洗濯もの入
れに投げこまれた。