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最後の事件記者 p.138-139 『殺されるかもしれないから』

最後の事件記者 p.138-139 チェックされた「幻兵団」員は、七万人にものぼっていたのである。この事件は、私の新聞記事としての、いわば出世作品であった。
最後の事件記者 p.138-139 チェックされた「幻兵団」員は、七万人にものぼっていたのである。この事件は、私の新聞記事としての、いわば出世作品であった。

『よく生きているな』

親しい友人が笑う。私も笑った。

『新聞記者が自分の記事で死ねたら本望じゃないか』

ただ、アカハタ紙だけが、ヤッキになってデマだと書いていた。読売の八回の記事に対し、十回も否定記事をのせ、左翼系のバクロ雑誌「真相」も、〝幻兵団製造物語〟というデマ記事で、私の記事を否定した。私にはその狼狽ぶりがおかしかった。そして、それから丸三年たって、二十七年暮に、鹿地・三橋スパイ事件が起って、「幻兵団」の実在が立証されたのであった。

アメリカ側の引揚者調査機関、NYKビルがその業務を終った時、チェックされた「幻兵団」員は、多分私もふくめて七万人にものぼっていたのである。この事件は、私の新聞記事としての、いわば出世作品であった。

この記事を書いた当時、私の妻は妊娠中で三月に予定日を控えていたのだった。前年の暮ごろから、私の取材が本格化して、ソ連引揚者のある人などを、私の自宅へ伴ってきて話を聞いていたので、彼女も私がどんな仕事をしているか、良く知っていた。何しろ六畳一間の暮しである。

『私の名前を出さないという約束をして下さいね』

その男は、念を押してから、とうとう誓約にいたるまでの経過や、マーシャと呼ぶ女士官の〝また、東京で、逢いましよう〟という耳もとでの、熱いささやきまで語った。彼は東京での話になると、日比谷の交叉点で、そのマーシャそっくりの女をみかけて、ハッと心臓の凍る思いをした、とまでいった。私は彼が、本物のマーシャとレポしたに違いないと、にらんでいた。

『どうして、名前が判ったらマズイんですね。思い切って、すべてを発表したらどうです。マーシャのレポや合言葉も……』

彼は黙っていた。やがて、ポツンと一言だけいった。

『殺されるかもしれないから』

彼の表情は、全く真剣そのもので、思いつめていた。人間の恐怖の瞬間を、私も、妻もみた。

彼女は、私の仕事が、そんなように、大変な危険につながることを覚った。その夜、彼女は自分の大きなお腹に眼をやってから、私に話しかけてきた。

『ねエ、そのスパイの仕事、危いらしいじゃないの、大丈夫?』

もう、お腹の中の新しい生命は、胎動をはじめていた。 『判ンないさ。やってみなくちゃ。でも、こんなやり甲斐のある仕事は、そうザラにはないンだよ』

最後の事件記者 p.140-141 私は「戦死」を目標にしていた

最後の事件記者 p.140-141 私は二才の時に父に死別しているので、全く父親の味を知らずに成長した。
最後の事件記者 p.140-141 私は二才の時に父に死別しているので、全く父親の味を知らずに成長した。

『どうして、あなたがやらなきゃならないの?』

『他にやる奴も、やれる奴もいないからだよ。それに、ボクは新聞記者だからね』

『新聞記者ッて、そんなにお仕事のために身体を張っていたら、幾つ身体があっても足りないわネ』

『男に生れて、自分の仕事に倒れるなンて、素敵じゃないか。男子の本懐これに過ぎるものはないさ。お巡りさんだってそうじゃないか。強盗が刃物を持っていて、危いから知らんふりはできないだろう。職業にも倫理があるンだよ。それに生き甲斐さ』

『男の生き甲斐はあるかもしれないけど、夫として、父としてはどうなの?』

人の子の父

私はしばらく黙ってしまった。私は二才の時に父に死別しているので、全く父親の味を知らずに成長した。兄弟は多勢いたが、やはり物足りなかった。小学生のころは、父親に手をひかれたよその子供をみると、シットを感じた。そんなせいで、私の〝人恋しさ〟の念は人一倍強く、愛

憎がはげしい性格となってきた。

父がなかっただけに、母への感謝の気持も強かった。それを裏返すと、母への不満であった。二十才の夜に男になろうと計画してみたり、アルバイトをしたり、学校を放浪したり、演劇青年を気取ったのも、そのためであった。

青年になってから、何度か恋をした。ある看板かりの芸者と深くなって、本気で結婚しようと考えたことがあった。彼女は二つ年上で、その土地では一流の姐さんだった。ずいぶんと、若い私のために立引いてくれたのだが、熱中する私をおさえて、「出世前のあなただから…」といって、やはり芸者らしい道を去っていった。

しばらくあと、こんどは劇団仲間の女性と一緒になろうと思った。手一つ握り合わないうちに、彼女は病死した。急に腹膜炎を起したのだった。

そして、戦局が激しくなってから、好きな女性がいた。しかし、何もいわずに黙って出征した。外地へ向う最後の日、彼女はオハギを作って駅まできてくれた。私はサッパリとした明るい顔で、一ツ星らしい敬礼をして別れを告げた。私は「戦死」を目標にしていたからだ。

残した母親のことは、他の息子にまかせればよい。何の系累もなくて、私は自分のことだけを 考えればよい、気楽な気持だった。