二月十六日 ドムニッキー代表、第二回音羽訪問「日本側の最適地」という好意回答、沢田大使へニューヨーク交渉の接衝指令
二月十七日 モスクワ放送、交渉経過を発表
二月二十三日 沢田大使「ニューヨークに同意を確認」の口上書を手交
三月三十日 沢田大使、ソ連の回答督促
四月四日 ソボレフ大使「回答はドムニッキー首席を通ずる」旨通告
四月六日 鳩山首相は記者会見で「四日に松本俊一氏がドムニッキー氏から回答を受取った。交渉地は再びモスクワか東京を提案している」旨を語る。重光外相は衆院外務委で「モスクワ又は東京に同意したことはない」旨説明、外務省として「ソ連の真意了解に苦しむ」と発表
四月七日 モスクワ放送は、ソ連外務省声明を発表、重光外相を非難
四月八日 沢田大使「重ねてニューヨークを希望」の口上書を手交
四月十八日 ソボレフ大使「交渉地に第三国、ロンドン又はジュネーヴ」の回答を沢田大使へ手交
四月二十日 英外務省「ロンドン交渉は自由である」と発表
四月二十三日 十八日のソ連提案に対し沢田大使より「ロンドンを撰択」と回答
四月二十五日 ソボレフ大使より回答、ロンドンに日ソの合意成立、交渉開始は六月はじめを提案
この経過をみても分る通り、交渉開始のキッカケは、元ソ連代表部首席のドムニッキー氏の異常なまでの積極的工作で始められている。久原氏もまた、会長就任以米、極めて積極的で、『日中、日ソ関係なくして、日本の繁栄なく、鳩山にできねばオレがやる』と語った、といわれるほどの熱の入れようであった。
経過をみると、二月十七日のモスクワ放送以来、四月四日の回答まで、約一ヶ月半もの間、ソ連側は動いていない。しかも、四日の回答は、再びモスクワ又は東京で、七日にはモスクワ放送で、二月七日の鳩山九州談話をとりあげて、重光外相を非難している。
ところが、その非難から十一日目の十八日には、第三国案を提示してきている。この間の動きが大切なところである。四月八日付東京新聞によると、坂井共同特派員はタス通信のワシントン主任ボルシャコフ記者に対し『何故ニューヨークをきらうか』とたずねたところ『米国務省に筒抜けだから』と答えている。
国際会議こそ、大きな諜報と謀略の場である。ニューヨークで〝アメリカへ筒抜け〟ということは、ソ側が充分に働けないということである。モスクワ又は東京であるなら、ソ側は充分に働けるのである。モスクワはもちろんであるが、東京もまた、それだけの自信があったのであろう。つまりモスクワ又は東京で、アメリカの援助なしに、日本独自でやるならば、日本全権団などはハダカ同然だというのである。