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赤い広場ー霞ヶ関 p.192-193 ロンドンはソ連の思惑通りか

赤い広場ー霞ヶ関 p.192-193 Was the confidential document of the Japan-Soviet negotiations passed to the Soviet Union via the UK? Is the Soviet Union and the UK cooperating?
赤い広場ー霞ヶ関 p.192-193 Was the confidential document of the Japan-Soviet negotiations passed to the Soviet Union via the UK? Is the Soviet Union and the UK cooperating?

鳩・メ会談で大体妥結の見通しをもったソ側では、十八日ソボレフ大使を通じて沢田大使へ

「ジュネーヴ又はロンドン」を回答してきたのである。

日ソ交渉に関してソ連の沈黙の時期と、多数の日本人スパイを手先に持っていた、在日経験のあるスパイ組織者のソ連エカフェ代表たちが、日本国内にいた時期とが符合するのは、果して偶然にすぎないだろうか。

こうして、二十日に英外務省の発表があって、ロンドンが決定した。

ニューヨークが容れられなかった日本にとって、ロンドンは次善の策であろう、しかし、モスクワ、東京、ジュネーヴが容れられなかったソ連にとっては、果してロンドンは次善以下のものであろうか。

世界に冠たるものは、英国の諜報機関であり、英国はアジヤにおいて、香港を軸として自由共産の両世界を結び、従って英国は対米という点では、ソ連と握手しているという原則と同時に、次の事実で読者の注意を喚起しておきたい。

日ソ交渉の最中のことである。外務省の某幹部が、暮夜ひそかに一名の英国人と会った。彼は日ソ交渉に関する、外務省、すなわち日本政府の機密文書をはじめ、各種の資料を提供してその英国人の意見を叩いた。

英国大使館員で、レッドマン二等書記官という、情報担当の日本通がいる。彼は日ソ交渉の

始まる前に濠洲に向けて、旅行に出発した。彼は濠洲で直に飛行機をのりかえて、ロンドンに向った。

レッドマン書記官がロンドンに到着して、ホンの数日後、マリク大使は急ぎモスクワに帰った。マリク大使が、モスクワからロンドンへ帰任して、日ソ交渉が始ったのである。

これらの時間的経過をみてみると、これもまた偶然の暗合であろうか。ソ連にとって、果してロンドンは、どのような価値を有するものだろうかと、これらの事実を、われわれ日本人はどう判断すべきなのだろうか。

三 鳩山邸の奇怪な三人

日ソ交渉で日本中が騒いでいた二月十六日のひるごろ、ドムニッキー元代表部首席は、チャソフニコフ二等書記官を伴って、第二回目の鳩山邸訪問を行った。

この訪問はド氏の裏口戦術といわれ、二月十七日付朝日「記者席」の記事によると「タクシーで音羽の鳩山邸にのりつけ、裏玄関から入った。それから数分、USSR第一号の元ソ連代表部の車が迎えにきて、ド臨時首席はこの車で帰ったが、警戒に当っていた連中も、ほとんど気付かなかったほどの早業」という。

どうしてド氏は鳩山邸の裏玄関まで知っていたのだろう。この記事を読めば、当然起ってくる疑問である。しかし、心配はない。案内役がいたのである。

赤い広場ー霞ヶ関 p.198-199 「第二、第三の男は?」

赤い広場ー霞ヶ関 p.198-199 When I abandoned further research, the analyst told me. “It ’s better not to touch it. You also have a wife and a child ... ”At that moment, a terrible ran through my spine.
赤い広場ー霞ヶ関 p.198-199 When I abandoned further research, the analyst told me. “It’s better not to touch it. You also have a wife and a child…” At that moment, a terrible ran through my spine.

『先日亡くなった母は、鹿児島にいました。もちろん、戸籍上も清水郁夫ですよ。父は大陸で働いていて、引揚げてきて亡くなりました』

黒幕とみられている有名政治家が、実は彼の手先なのだッて? では一体……

私は再びアナリストに会った。

『第二、第三の男は?』

『第三の男、これは、鳩山、ドム会談に立会っているはずだ。この男も自称清水というンだ。しかし、本名は頭文字Oで、某政党の大立物S氏の関係者らしい』

『そのOとかSとかの本名は?』

『それはいえない。第二の男、ド氏を裏玄関へ案内した男、この男の正体は、いまもって分らないンだ……』

『前にアタった当局の係官は、清水郁夫の身許を、トコトンまで調べないうちに、上から止められたといっていたが、これはどうしてなンだい? S氏の線かね?』

『それは、わしにも分らない。きっとズットズット上の方で、納得がいっているからだろう。役人は上のいうことは、何でもきかなきゃいけないからネ、服務規律にそう書いてあるヨ』

もはや、これ以上は私には調べられなかった。もちろん、訊ねてみたって、国警長官も警視総監も、正直に打明けてはくれない。或は、彼らだって、そのワケは知らないかもしれない。警察は法律の執行体であって、政治家ではないのだから……。

ともかく、私の得た結論では、この鳩山邸の〝奇怪な三人〟については、なみなみならぬ高等政治によって、登場させられてきた男たちだということであった。

私がこれ以上、〝奇怪な三人〟について調べることを断念したとき、口籠ってばかりいた例のアナリストは、ホッとしたような表情で、私にいった。

『よかったですナ。アレはさわらん方がいいですよ。貴方も、奥さんや子供さんがいるンだから……』

私は、瞬間、〝恐怖〟が稲妻のように、背骨を走り抜けたように感じた。

『エッ!』

ニコヤカに微笑んだつもりだったが、顔の筋肉は醜く硬張っていたらしい。

四 日本の〝夜の首相〟と博愛王国

日ソ交渉が具体的に動きはじめた、二十九年十二月から、二、三ヶ月前のことだった。

当時まだ警視庁記者クラブ詰だった私は、ある日女性の電話に呼び出された。

『実は、Q氏(米人)に関してお話を承わりたいのですが、御都合如何でございましょう』

第一回菊池寬賞を受けてから、「東京租界モノ」は読売の専売特許であった。この女性は、読売本社に電話して、それならば警視庁クラブの三田記者に聞けと教えられ、今、こうして私

を呼び出したのであった。