黒河の町の西はずれに神社がある。そのそばには「工作家屋」と呼ばれる建物があるのだ。人相、年齢、氏名をソ連側に通告した満人の諜者が二、三名いる。
彼らは定期的に、定められたコースで対岸のブラゴエに渡り、ソ連側の工作家屋に行く。そ
こで携行した日本側の情報を渡し、またこちらの要求する、ソ連側の情報をもらってくるのが役目だ。
その次には、同じようなソ連側の諜者が舟を出して、黒河の東はずれ海蘭公園のあたりに上陸する。そこから河岸沿いに町を横切り、西郊の工作家屋にやってくる。同様に情報を提供し、要求する。
この組織は定められた諜者と定められたコースにだけ、憲兵とゲ・ペ・ウの治外法権を認め合っている。相手側に対する質問の仕方と、その質問に対する返事の仕方、そこに双方の工作主任の力量がある。七割与えて十割とるというわけだ。
そんな国境地帯の任務が終って、ハルビンに帰ってきた勝村は、やがて大尉になった。
勝村のハルビン在勤時代、当時の機関長土居明夫大佐の有名な「秋林(チュウリン)工作」が行なわれた。そのころ女学校を出たばかりの和子は工作の舞台となった秋林百貨店の売場に、まだあどけなさの脱けきらぬ姿をみせていたのだった。
満鉄社員と称して、足繁く出入りする勝村に若い和子の魂は魅せられてしまった。だが、すでに次の任務を授けられて、妻帯する自由もない勝村には和子の気持を受入れることはできなかった。しかしたった一度、勝村がブラゴエ潜入を命ぜられて、それとなく別れを告げに逢っ
た夜、二人は愛情を誓い合ってしまったのだった。
まだ毛皮外套(シューバー)の放せないある朝のことであった。満鉄社員勝村の家は、数名の憲兵に寝込みを襲われた。隣り近所の眼をみはらせて、勝村は連行されていった。
かつて彼が決定した数多くの甲処置、乙処置と同じ運命が彼を手招いているのだ。もちろん取調べとてなく、あちこちの衛戍(えいじゅ)刑務所や一般の刑務所を転々と移され、彼の行方をこんがらからせた。そして、さらに数ヶ月の間、ハルビン郊外の一軒の家に潜伏していた。
その間に着々と準備は進められた。彼の軍籍に関する一切の人事書類が焼きすてられてしまった。郷里には〝戦死公報〟が出され、戸籍まで抹殺されたのだ。潜伏のアジトの高い塀に囲まれた僅かばかりの庭を、檻の中の動物のように歩き回る毎日が続いているとき、機関の露人斑長青木大佐が現れた。
『命令。勝村大尉ハ……』
直立不動の姿勢で聞く命令下達。伸ばした左手には軍刀の冷たい感触もなかったし、あげた右手には位置すべき軍帽のつばもふれなかった。秘めやかな壮途、そして彼がどうなったかを覚えていてくれる日本人は、命令下達者たった一人しかいない——これが中野学校卒業生の歩むべき道であった。