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迎えにきたジープ p.106-107 捕虜名簿すら作ろうとしない

迎えにきたジープ p.106-107 It is said that one soldier became ill during transportation. Infect several people on a prisoner-of-war train and send them to each camp. What a big experiment!
迎えにきたジープ p.106-107 It is said that one soldier became ill during transportation. Infect several people on a prisoner-of-war train and send them to each camp. What a big experiment!

少し前に息を引取った若い兵長の屍体が、全裸にされて解剖室に運ばれるところだった。ソ連軍医の実習材料として、捕虜の屍体は必らず解剖されるのだ。

その解剖は、耳から耳へと頭の頂きを通ってクルリとメスを入れる。頭皮が前後にツルリッと剥がれて首筋と顎の処にたまる。ムキ出された頭蓋骨を真横にノコギリでひいて、ポンと叩くと、ポカッと音がして頭の蓋が脱れる。そこから脳漿を取出す。

瘠せ衰えたうえ、恥毛まで剃られたその男の屍体は、何か焦点のない散慢な感じだった。

『オーイ、皆。早く来いよ。一風呂浴びて汽車に乗るんだ』

さっきから飯盒と水筒を抱えて、廊下中をワメキ散らしていた男が、小便溜の味噌樽に両足を突っ込んで、さも心地よげにピチャピチャと掻き廻しはじめている。

脳症の発作が起きたのだろう。四十才前後の補充兵風の男だったが、濃い眉と大きなカギ鼻が印象的に見えた。

——見たことのあるような男だ。

そんな感じがしたが、想い出せない。

『お前のように静かな患者ばかりだと、大分俺も助かるんだが……』

下士官はそういいながら、しきりに小便の行水をしている男に寄っていった。

勝村は意識を恢復してから、自分が脳症を起して、何か過去の秘密をしゃべりはしなかったかと恐れていたが、今の言葉に一まず安心した。と同時に発病の日の記憶を呼び戻していた。

——シュタップではねずみを飼っている。石井部隊でもそうだった。ペスト蚤の繁殖用にねずみを使っていた。

——シュタップが研究所だ。白衣の男たちが研究員に違いない!

——連隊長の説明によれば、三大隊の兵隊が一人輸送間に発病したという。捕虜輸送列車で何人かに感染させて、各収容所に送りこむ。何という大規模な実験だ!

——まず戦争チフスをえらんだ。このチフスの発生なら極めて自然だ。最大の謀略は最も自然な現象として現われてくる。

——入ソ以来すでに半年近くなるのに、捕虜名簿すら作ろうとしない。今死んだものは永遠に員数外となる訳だ。

——屍体は皆解剖されている! 予防接種や治療は各種実験のため、一部特定の患者にしか行なわれなかったのじゃないか?

——解剖は明らかに系統解剖ではなく病理解剖だ。しかも脳背髄液まで採っている。

——我が関東軍特務機関は、戦前すでに、オムスク市の細菌試験所の、組織と業績とを握っていたではないか!

下りきらない熱に浮かされたような推理が、次々と勝村の疲れ切った頭を駈けめぐっていっ

た。

迎えにきたジープ p.110-111 生き残りだけの捕虜名簿

迎えにきたジープ p.110-111 Of the 4000 POWs, 95% were infected with typhus fever and 30% died. There are 2,800 prisoners left. The treatment and whereabouts of the dead are unknown. The Soviet Union created a wartime POW list of only the surviving prisoners.
迎えにきたジープ p.110-111 Of the 4000 POWs, 95% were infected with typhus fever and 30% died. There are 2,800 prisoners left. The treatment and whereabouts of the dead are unknown. The Soviet Union created a wartime POW list of only the surviving prisoners.

勝村たちを襲った発疹チフスの猛威は、約二カ月余りの間に全員の九割五分を発病させて、文字通りの生地獄を現出したのである。

シベリヤにも遅い春がやってきた。四月ともなれば、丘から丘へと連なる大地のうねりにも青味がかかって、美しい林のはずれから、澄んだ小川のほとりまでも、茎の短いタンポポが、鮮やかな黄色の絨毯をひろげたように咲き乱れる。

だが、春を迎えた収容所の人員は、約三割も減って二千七、八百名しかいなかった。その行方はあの可愛らしいタンポポにでも、たずねるよりは仕方があるまい。そして、生き残った人たちに対してだけ、やっと捕虜名簿のカードが作られはじめていた。

二 マイヨール・キリコフの着任

それから四年が過ぎて、昭和二十五年の春、信濃、高砂、両引揚船が舞鶴に入港して、ソ連地区の引揚は打ち切られた。

都心には新しい高層ビルが、競争のようにどんどん建ち聳えている。そのどれもが自動車でいえばフォードのように明るいが、幾分安っぽい感じのものだ。大通りには欧洲車は影をひそめて、赤、青、黄と派手な米国製高級車が洪水のように流れている。

盛り場にはクラブとかキャバレーとかいう社交場が妍を竸い、ネオンが妖しくまたたいている。ショーウィンドウにはスマートな商品が豊富に飾られている。そしてその商品の殆どが、衣類も化粧品も菓子までが米国製だ。

舗道をぞろぞろ織りなすように行き交う人たちは誰もが美しく装っている。人妻か娘か判ら

ない婦人たちは、最新流行の服だ。そして職業の全く判らないような男たち。

日本の庶民生活とは何の関係もないこのような事柄が、戦後数年間のうち東京にみちあふれてきた。

だが、身近かな喫茶店やパチンコ屋でさえ、その資本主や経営者には、難しい漢字の三字名や、片仮名の外国人たちが並んでいる。外国人の賭博場ができ、月島の埋立地に上海や香港のような華僑の街をつくろうという計画までが樹てられる。

密輸と密入国。植民地気質の出稼ぎ外人たちは大きな悪事を働らいては飛行機で逃げ出す。大陸や外国から引揚げてきた鮮、華、露などの混血児。赤系に変った白系露人、無国籍のエミグラント、もはや東京は八百万都民と何のかかわりもなく、怪しげな国際都市として、その性格までも変貌していた。

高級住宅地である麻布の高台を滑るように走ってゆく外国製車が一台。ナムバープレートには「SPACJ—35」とあるから、ソ連代表部の車だ。見馴れない型だからモロトフに違いない。ZIM式六基筒九十五馬力。モロトフ工場製でソ連が誇る新車ジムだ。

前に二人、後に二人と、いずれも座席の中央をあけて四人のソ連人が乗っている。車はグングンとスピードを出して虎の門から桜田門へと向った。警視庁のクスんだ建物を左にみて右へ

大廻り、祝田橋の信号にかかってギュッと停った。たちまち七、八台の車が後につかえる。