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雑誌『キング』p.135中段 幻兵団の全貌 女中尉のカバン持ち

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.135 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.135 中段

った。㊁金持ち、名門、特異な職業の者などを対象としていたこと。㋭反動の偽装と日本における地下潜入をハッキリと示していること。などの諸点である。

背が低く四角いアカラ顔の、そのNK中佐のもとに、モスクワ東洋大学の言語学科出身という腕達者な女中尉が日本人部長として、ニラミを利かしていただけに、一部の極反動を除いては、ほとんどが懐柔されてしまった。ことに、若い尉官たちの活動的な民主運動に圧迫を感じた、参謀肩章の佐官や、中年の尉官たちが、自己保身のために、意外なほど簡単に妥協してしまったらしく、参謀長が部下参謀をさしおいて先に帰還したという例が多い。

ここで女中尉のカバン持ちをしていたという、北海道の多田光雄(三二)元少尉は、『ソ同盟情報部との誓約書にいたっては、ふきだしてくる。これでみるとソ同盟側ではとりわけファシストをえらんで、誓約書をかかせたものらしい』と、アカハタ記者に語っているが、反動に誓約書をかかせたということは事実で、多田氏は〝ふきだしてくる誓約書〟の真相を知って、語るに落ちているわけだ。

今年の一月に入った高砂丸で帰ってきた元男爵細川元中佐参謀なども『〝幻兵団〟には民主グループは駄目で、反動から探している』と語

雑誌『キング』p.135上段 幻兵団の全貌 約一万名のインテリたち

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.135 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.135 上段

て、はるかに活発であり、ソ連側でも重視していたようである。

ここは欧露最大の将校収容所として、二十一年夏ごろから、各地の将校ばかりが集められた。その総数約一万名、将官一、大佐八〇、中佐一〇〇、少佐二〇〇、文官の中には将官級の人もいたが、残りの九千名以上が尉官と文官というのだから壮観である。これがA、B両収容所に分かれ、さらにカクシャン(農場雑役のため)とボリショイボル(伐採のため)とに、数百名の分遣が出ていた。

幹候出の尉官、陸士出の佐官、それに地方人の文官が加わり、結局全員が一応のインテリであっただけに、この収容所の内情は複雑かつ陰惨なもので、インテリの弱さ、醜さ、冷たさ、などが露呈されてお互いに苦しめ合っていたようだ。

ここの〝幻兵団〟の特色は、㋑最後に誓約書をとったのが、他の一般収容所に現れた〝モスクワの少佐〟ではなく、〝中佐〟だったこと。これでソ側でも、エラブカ懐柔のために慎重だったことが分かる。㋺高級将校や、知識人ばかりだったためか、拳銃などを出して脅迫はしていないこと。㋩誓約書の内容が、他の各地とは違って、詳細かつ具体的に、多数の項目に分かれており、日本における生活の保証まで明示してあ

雑誌『キング』p.128下段 幻兵団の全貌 使命遂行は現在進行形

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.128 下段 四、日本に於ける実態
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.128 下段 四、日本に於ける実態

イセット)、一応使命は終了しているとみられるので、ここではしばらく置こう。あまりにも陰惨であるとの声もあるが、引揚げの完了は、敗戦の整理でもあるので、たとえ〝生きて帰る〟ためではあっても、そのかげに強制力をもったもっと大きな責任者があるとしても、やはり吉村隊長が法の裁きをうけているように、同胞を売った事実があれば、それはそれとして、健康な社会の秩序によって裁かれねばならない。もちろん、誓約書を書いてはいても、魂までは売らなかった人々も多いのだ。

だが、問題はⒷに属する人々である。彼らの使命遂行は現在進行形であるからだ。

1 潜入と偽装

『民主運動には積極的であってはいけない。幹部になることはもちろんいけない』という注意は、誓約書を書くに当たってチェレムホーボはじめ各地区で、担当将校に与えられている。さらにバルナウルなどにおいては、逆に反動的言動を命ぜられ、『どんなに吊るしあげられても、必ず帰してやるから心配するな』とまでいわれている。エラブカでも、スパイ採用にやってきた〝モスクワの中佐〟は『革命家は、在ソ間は反動としてすごさねばならない。日本へ帰ったら地下にもぐって大いに活躍しなければならぬ』と語