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新宿慕情 p.096-097 私の時計はオメガ。十万円ほどのもの

新宿慕情 p.096-097 腕時計やライター、万年筆、ネクタイ、ベルト、靴にいたるまで、高価な外国のメーカー名が記され、値段まで紹介されている。~これは編集者の痛烈な皮肉か、と思って、眼を瞠ったものだ~
新宿慕情 p.096-097 腕時計やライター、万年筆、ネクタイ、ベルト、靴にいたるまで、高価な外国のメーカー名が記され、値段まで紹介されている。~これは編集者の痛烈な皮肉か、と思って、眼を瞠ったものだ~

それから以後、知人に紹介されたり、アチコチの洋服屋で作ってみたが、最初の一着で(どんな入念な仮り縫いをしたとしても)腕を通してみて、ピタッときまる洋服屋に出会ったことはない。
それは、注文者の体型を熟知していないからである。人間の身体は、左右の手の長さは同一ではないし、生身なのだから、メジャーの数字以外の、プラスアルファがあるものなのだ。
家内にいわれて、はじめは、オ義理のつもりで、一着、頼んでみた。ところが、「どうせピタ

ッとこないだろう」と思ってなかば諦めの心境だったのに、これがなんとまあ、一パツでドンピタなのである。

そして、それだから、「腕のいい職人」というのである。その彼が、営業政策上、丸井の仕事を専門にするようになったから、私の服も、すべて、丸井のネームがつくことになった。

要するに、話が飛んでしまったが、洋服職人もコーヒー淹れも、その人次第なのである。自分の仕事に、愛情と研究心とがあるかどうか、なのだ。

だから、洋服とYシャツの仕立てでダメなのは、デパートである。採寸して、客に接する男と裁断するヤツ、縫う者と、すべて分業で、それぞれが、数字だけを根拠に、仕事をするからである。洋服仕立てや、食べ物などは、客に接していなければ、客の気に入られるものはできない。

嘆かわしいことに

経済誌の巻頭に、イラストでどこかの社長の全身が描かれ、持ち物や、着ているものの「説明」が出ていたりする。

腕時計やライター、万年筆、ネクタイ、ベルト、靴にいたるまで、高価な外国のメーカー名が記され、値段まで紹介されている。

そして、それが、その〝社長サンの趣味の良さ〟、ステータスみたいに扱われている。

最初、そのページを見た時には、これは編集者の痛烈な皮肉か、と思って、眼を瞠ったものだ

ったが、雑誌が、オベンチャラ経済誌だったから、編集者も大マジメ、登場するほうも、内心得意で取材に応じているに違いない、と気付いた。

田中金権内閣の出現以来、ホントに世情人心が荒廃して、なんでもカネの世の中。悪いことばかりしているクセに、一応は経営者ヅラして外国製品ばかりを身につけ、それが、〝趣味の良いこと〟だと、思いこんでいる野郎どもが、世にハビこっているのは、嘆かわしいことである。

「書は姓名を記するをもって足りる」には、反対の立場を取らざるを得ないが、時計も服も、用事が足り、むさ苦しくなければ、それで足りるハズだ。

私の時計はオメガ。それでも十万円ほどのものだ。

(写真キャプション)正力死後、読売は社主と社長のコンビになった

新宿慕情 p.098-099 読売社外での務台サンの一の子分

新宿慕情 p.098-099 そして、裏側には、こういう文字が彫ってある。TO K.MITA FROM M.MUTAI 45.7.21 読売の務台社長が、「ありがとう」といわれて、この時計を拝領した
新宿慕情 p.098-099 そして、裏側には、こういう文字が彫ってある。TO K.MITA FROM M.MUTAI 45.7.21 読売の務台社長が、「ありがとう」といわれて、この時計を拝領した

「書は姓名を記するをもって足りる」には、反対の立場を取らざるを得ないが、時計も服も、用事が足り、むさ苦しくなければ、それで足りるハズだ。
私の時計はオメガ。それでも十万円ほどのものだ。

そして、裏側には、こういう文字が彫ってある。

TO K. MITA FROM M. MUTAI  45.7.21

読売の務台社長が、正力サンの急逝のあとを受けて、副社長から社長に就かれ、その披露パーティーのあった直後、私はお呼びを受けて社長室に伺った。

大きな椅子にアグラをかかれた務台サンは、報知の販売課長からスカウトされて、正力サンの読売陣営に加わった。そして部数が伸びた時、「正力サンに呼ばれて、行ってみたら金時計を下さった」と、エンエンと、むかし話をされる。

そして、約一時間ほどの、例の長話のあと、帰りぎわの挨拶をしていたら、「ありがとう」といわれて、この時計を拝領した、という記念品である。

私が、〈読売社外での、務台サンの一の子分〉を、自称するユエンでもある。

私の身につけた外国製品はこのオメガだけ。ライターの趣味なし、万年筆は中学生のころからのパイロット——先日、さるクラブで、新米のホステスが、教えこまれたままらしく、私のネクタイを賞めた。「ステキねえ、これランバン?」と。

私は、タシナメていう。

「そういうホメ言葉は、〝趣味の悪い〟人にいうものだよ」

私は、〈お洒落〉なんかじゃない。自分の身体と顔に合ったものを身につけ、自分の口に合うものを、飲み、食べるだけ。

ホステスが、卓上のオードブルを取って、私の口もとに持ってくると、拒みながらいってやるのだ。

「食いものと女とは、自分で選んで、自分の欲しい時に、自分で取るよ」

おかまずしの盛況

名物男ヤッちゃん

医大通りも、ようやくグループでのコーヒー談義を通りすぎて、もうしばらく先の松喜鮨へと到着する。

この松喜鮨の名物男、ヤッちゃんとの交情の、そもそもの馴れ染めが、どうにも想い出せないのが、なんとも残念である。あるいは、それほどに親しいのかも知れない。

私が彼を知ったのは、この店に行きはじめて間もなくのことだった。

「ネ、私たちのレコード、買って頂けないかしら?」

色白でホクロが点在する顔は丸く、頭髪は七分刈りだろう。そこに、キュッと、豆絞りの鉢巻きをしめて、ダボシャツ風の半天の襟だけを、同じ豆絞りの柄にして、アクセントを出している

彼の姿は、いかにも、鮨屋の板場らしく、イナセでさえある。