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迎えにきたジープ p.124-125 チェリーが知らないといった男

迎えにきたジープ p.124-125 There is a shrine on the west side of Heihe and there is a "spy's house" beside it. Manchurian spies regularly go to Blagoveshchensk for hand over the information of the Japanese side to the Soviet side, and receive the information of the Soviet side instead.
迎えにきたジープ p.124-125 There is a shrine on the west side of Heihe and there is a “spy’s house” beside it. Manchurian spies regularly go to Blagoveshchensk for hand over the information of the Japanese side to the Soviet side, and receive the information of the Soviet side instead.

『ネ、キリコフが来ていてよ』

ささやく声は、何という変りようだ! あのポンティアックの上品な若奥様と同じではないか。勝村もうっとりと眼をつむり、香ぐわしいようにチェリーの耳に口を寄せる。

『どこ? 連れは?』

『貴方の真後から、指三本右のテーブル。三人連れで、一人は……ホラ大谷少将。もう一人の日本人は知らない』

視線があちこち動くと怪しまれるので眼をつむっているのだ。恋のささやきとしか見えない二人の姿だった。静かにターンをして位置をかえる。目指すテーブルには……

——見たことがある男!

チェリーが知らないといった三人目の男。彼は眼をつむったままリズムに乗ってゆく。

——ああ想い出さない!

——あの濃い眉。険しい鼻。特徴のある男なのに、どうしても思い出せない!

彼の記憶は、何か薄いヴェールを冠ったように、どうしてもよみがえって来ない。チェリーが身を起して、彼をまともにみつめた。その眼が『どうしてステップをまちがえたの? 取乱すとヘンよ』と訴えている。ニッコリうなずいて、背中にあてた腕に力をこめて抱きしめた。

——可愛いい奴! 名前を訊いておけよ。

と、眼で答えると、カッと胸の奥底から熱い血がこみあげてきた。

——何故、何故、奴らがこの女を抱きしめるのを、俺が黙っていなければならないんだ!

たまらない気持で勝村は階段を下りていった。

——和子、お前はどうしてダンサーになぞなったんだ。

もう十年も前のこと——

外出さえ禁止された長い長い一年が過ぎ、日本陸軍が誇る近代的謀略学校「中野」を卒業した勝村中尉は、作ってからはじめて袖を通した軍服の胸を張って、待望の満ソ国境へ赴任のため特急「あじあ」の座席にゆられていた。

来る日も来る日も荒涼たる色彩のない風景。黒い豚。そして国際謀略都市ハルビンへ——ここ小上海の目抜き通りはキタイスカヤ街。ライラックの花咲く松花江(スンガリー)の河岸である。

機関長に着任の申告を済ませたその日、勝村の諜報将校としての生活がはじまった。軍服をサラリと脱ぎすてた自称満鉄社員は、日、満、露、華、蒙そのほか国籍も分らぬ、いろいろな人間と一緒くたになってうごきはじめたのだ。やがて彼は黒河出張を命ぜられた。

黒竜江(アムール)一本をへだてて、対岸は指呼の間にソ連領ブラゴヴェシチェンスク市だ。黒河の町は、謀略と諜報の第一線だけに、学校では教えてくれなかった不思議な情報交換組織があった。

黒河の町の西はずれに神社がある。そのそばには「工作家屋」と呼ばれる建物があるのだ。人相、年齢、氏名をソ連側に通告した満人の諜者が二、三名いる。

彼らは定期的に、定められたコースで対岸のブラゴエに渡り、ソ連側の工作家屋に行く。そ

こで携行した日本側の情報を渡し、またこちらの要求する、ソ連側の情報をもらってくるのが役目だ。