ロシア人」タグアーカイブ

編集長ひとり語り 番外編その1 差別用語とは

編集長ひとり語り 番外編その1 差別用語とは 平成11年(1999)5月10日 画像は三田和夫30代?(読売記者時代か)
編集長ひとり語り 番外編その1 差別用語とは 平成11年(1999)5月10日 画像は三田和夫30代?(読売記者時代か)

■□■差別用語とは■□■番外編その1■□■ 平成11年(1999)5月10日

「バカでもチョンでも…」という言葉を使ったのは、先週号(第10号)の「社会的責任とは何か…」の文中である。すると早速、「これは差別用語である。取り消すべき」という反応が、いくつか寄せられた。そこでこの差別用語なるものについて、私の意のあるところを、何回かに分けて述べてみたい。

その文章は、公人の社会的責任について述べたあと、「その義務(社会的責任を明らかにする)を怠るならば、バカだ、チョンだといわれても、やむを得ないだろう」と、結んでいる。この文章の流れから言えば「バカだといわれても」と、「チョン」の部分が無くても、いささかも不都合ではない。そのように書きかけてから、私はあえて「チョンだといわれても」と、「チョン」を付け加えたのである。それは、『ひとり語り』の読者たちが、どのように反応するかを、確かめてみたかったからである。

そして、その読者たちとディベートする機会をつくりたい、と思ったからである。「チョン」が「差別語」にされていることを、十分に承知して使ってみたのである。その結果、すぐさま反応が現れたのだった。

いったい、だれが「差別語」なるものを、どのような基準で、選別し、決定したのだろうか。多分、それは昭和40年代のことだろうと思う。いわゆる“人権屋”と称される人たちの“言葉狩り”の結果、歴史的事実と関りなく、あれも、これもと列挙され、それがマスコミで宣伝されて、「活字神話」の信者たちである若い人たちのアタマに、叩きこまれたものであろう。

最初に、私の意見を述べておこう。私の中学生時代、東京府立五中時代の同期生に朝鮮出身者がいた。当時、朝鮮半島は日本の植民地だったが、府立五中にも朝鮮出身の生徒がいたということは、本人の優秀さはもちろんのこと、差別がなかったということである。彼とは、校友会雑誌部で親しくしていた。さらに、日大芸術科に入ると、学友には、朝鮮や台湾出身者は多数いて何人も親しい男がいた。

さらに、軍隊に入ると、ここでも、優秀な朝鮮出身者がいた。中国での駐屯地では、将校だったので行動が自由で、河南省の田舎町だったが、理髪店主や、駄菓子屋、食堂などの中国人たちと仲良くなった。そして、シベリアの捕虜である。2年間も同じ炭坑町にいたので、炭鉱夫、女軍医など、もう一度会いたいと思うほど、懐かしい人びとと相知った。

もう11年前のことになるが、知人に頼まれて『岡山プロブレム』という単行本をまとめたことがある。2カ月ほどかけて、岡山県下をくまなく歩き、取材してまわった。その時に知ったことだが、この瀬戸内には、中国と朝鮮の文化、それをもたらした中国人、朝鮮人が土着し、その“血”を日本人として伝えていることに、深く感じ入った。例えば、秀吉に忠節を尽し、関が原の合戦に秀頼を擁して、西方の総大将になった宇喜多秀家がいる。彼の曾祖父・能家は、「百済国人三兄弟」のひとりだ。敗戦の責を問われ、秀家は八丈島へ流され、歴史は「ここで宇喜多家は断絶した」とする。

その岡山取材から数年後に、一流銀行の広報部長に会った。その姓が「浮田」なので、「八丈島の出身ですか?」とたずねると、そうです、と答えた。秀家が多分、八丈島の女性に生ませた子供の子孫なのであろう。百済国人の“血”は、こうして、日本人に流れつづけているのである。

こうして、朝鮮半島人や中国人たちと付き合いつづけ、戦争と捕虜を通じて、私は信念を抱くにいたった。日本文化の父は中国、母は朝鮮である、と。かつ、捕虜時代には、旧ソ連人だから、ロシア人、ウクライナ人、カザフ人、タタール人と、多くの民族の人びとと接してきて、国籍や民族や宗教を越え、人間は人間なんだ、ということを痛感した。そこには、差別や差別用語などは存在しない。

「バカチョン」のチョンが、朝鮮人に対する蔑称だ。だから差別語だ、という主張の人びとが、どのような合理的な、もしくは歴史的な事実を示しただろうか。私は、残念ながらチョンの説明を耳にしたことも、目にしたこともない。

それどころか、差別語なるものを決定し、声高にいい立てる人びとこそが、差別そのものではないか。私は、人間が、人間の尊厳に対し敬意を抱き、礼節を守ること、すなわち精神の内奥で自立することが、すべてだと思う。石原都知事が、中国を支那と呼ぶことを強弁している。が、中国人がその言葉で不快感を覚えるというのならば、それを使わないのが礼儀である。人間同士なのだから…。

日本文化の父が中国、母が朝鮮。これはいかんともしがたい事実である。そうであれば父の流れを汲む現在の中国人、母の流れを伝える現在の朝鮮人。そのどちらにも、それなりの人間としての対応があって然るべしである。とすると「差別語」なるものがあるハズもないし、「差別」なるものもないハズである。

私の書いたチョンが差別語だ、という人たちは、私にその根拠を教えてほしい。根拠も示せずに主張するのは言葉狩りに乗せられていることになろう。無批判に、言葉狩りを伝えたマスコミの活字を、盲信してはいけない。(つづく) 平成11年(1999)5月10日

迎えにきたジープ p.124-125 チェリーが知らないといった男

迎えにきたジープ p.124-125 There is a shrine on the west side of Heihe and there is a "spy's house" beside it. Manchurian spies regularly go to Blagoveshchensk for hand over the information of the Japanese side to the Soviet side, and receive the information of the Soviet side instead.
迎えにきたジープ p.124-125 There is a shrine on the west side of Heihe and there is a “spy’s house” beside it. Manchurian spies regularly go to Blagoveshchensk for hand over the information of the Japanese side to the Soviet side, and receive the information of the Soviet side instead.

『ネ、キリコフが来ていてよ』

ささやく声は、何という変りようだ! あのポンティアックの上品な若奥様と同じではないか。勝村もうっとりと眼をつむり、香ぐわしいようにチェリーの耳に口を寄せる。

『どこ? 連れは?』

『貴方の真後から、指三本右のテーブル。三人連れで、一人は……ホラ大谷少将。もう一人の日本人は知らない』

視線があちこち動くと怪しまれるので眼をつむっているのだ。恋のささやきとしか見えない二人の姿だった。静かにターンをして位置をかえる。目指すテーブルには……

——見たことがある男!

チェリーが知らないといった三人目の男。彼は眼をつむったままリズムに乗ってゆく。

——ああ想い出さない!

——あの濃い眉。険しい鼻。特徴のある男なのに、どうしても思い出せない!

彼の記憶は、何か薄いヴェールを冠ったように、どうしてもよみがえって来ない。チェリーが身を起して、彼をまともにみつめた。その眼が『どうしてステップをまちがえたの? 取乱すとヘンよ』と訴えている。ニッコリうなずいて、背中にあてた腕に力をこめて抱きしめた。

——可愛いい奴! 名前を訊いておけよ。

と、眼で答えると、カッと胸の奥底から熱い血がこみあげてきた。

——何故、何故、奴らがこの女を抱きしめるのを、俺が黙っていなければならないんだ!

たまらない気持で勝村は階段を下りていった。

——和子、お前はどうしてダンサーになぞなったんだ。

もう十年も前のこと——

外出さえ禁止された長い長い一年が過ぎ、日本陸軍が誇る近代的謀略学校「中野」を卒業した勝村中尉は、作ってからはじめて袖を通した軍服の胸を張って、待望の満ソ国境へ赴任のため特急「あじあ」の座席にゆられていた。

来る日も来る日も荒涼たる色彩のない風景。黒い豚。そして国際謀略都市ハルビンへ——ここ小上海の目抜き通りはキタイスカヤ街。ライラックの花咲く松花江(スンガリー)の河岸である。

機関長に着任の申告を済ませたその日、勝村の諜報将校としての生活がはじまった。軍服をサラリと脱ぎすてた自称満鉄社員は、日、満、露、華、蒙そのほか国籍も分らぬ、いろいろな人間と一緒くたになってうごきはじめたのだ。やがて彼は黒河出張を命ぜられた。

黒竜江(アムール)一本をへだてて、対岸は指呼の間にソ連領ブラゴヴェシチェンスク市だ。黒河の町は、謀略と諜報の第一線だけに、学校では教えてくれなかった不思議な情報交換組織があった。

黒河の町の西はずれに神社がある。そのそばには「工作家屋」と呼ばれる建物があるのだ。人相、年齢、氏名をソ連側に通告した満人の諜者が二、三名いる。

彼らは定期的に、定められたコースで対岸のブラゴエに渡り、ソ連側の工作家屋に行く。そ

こで携行した日本側の情報を渡し、またこちらの要求する、ソ連側の情報をもらってくるのが役目だ。