国連軍に乾燥血漿を納めるようになってからは、衛生関係の将校も女史のサロンの客となっていたから、研究所に外人がいても不思議ではなかった。
本多が眼をあげて外人をみた。微笑が口辺に浮ぶ。
『生きています。大丈夫です』
『オメデトウ』
外人が本多の手を握った。女史は自分がほめられたように、うなずきながら、
『そりゃ、本多さんの研究は大したものなんです。ここでは何ですから、あちらで……』
『アリガトウ、チョト時間ガアリマセン。今日ハシツレイシマス。サヨナラ』
外人が去るのを見送った女史は、二人になると小娘のようなしなを作って、
『誰方? 紹介もして下さらないで……』
『エエ』
本多は顕微鏡の載せガラスを脱して、沸とうするビーカーの中に投げこみながら、あいまいに答えた。実験の成功に気を良くして笑いながら話題をかえた。
『何です、一体大変な目というのは?』
『共産党の連中がおしかけてネ、これを買ってくれというのよ。ウルサイから買ったけど高価いの。二千円よ』
女史は厚い本を本多に示した。
『貴方のお仕事に関係があるだろうと思ったから買ったんだけど……。お入用?』
本はハバロフスク裁判の記録だった。
『ありがとう』
本多は少し顔をしかめて受取った。
『それより、近く工場に新しい設備をしなければならないので、お金を用意して下さい。血漿の純度をよくする装置です』
『でも、現在のでもいいのなら、何もお金をかけなくても……』
『少し沢山かかるでしょうが、ナニ、朝鮮動乱はまだまだ続きます。今のうちにどしどし大量生産して、米軍だけでなく日本軍にも売り込まねばなりませんよ』
『日本軍って? 警察予備隊?』
『そうですとも、ハハハハ』
乾燥血漿は確かに熱処理によって作り出される。その経過中に細菌は全部死滅し、無菌の状態で粉末として、真空のアンプルにつめられるのだ。本多の研究は、嫌気性細菌の濃縮溶液を乾燥させ、真空状態の中で長期保存させようというものだった。
その研究のためキリコフは、モスクワの衛生試験所からボツリヌス菌の資料や、ジェルジンスク研究所から、ドイツ人学者の完成した乾燥のデータまで取り寄せて援助した。今や本多の研究は完成した。一CCで四、五万人の人命を奪うという研究が……