『それで……、メジャー・田上。五十年四月の信濃丸で帰国した大谷小次郎元軍医少将のこと覚えていますか』
勝村が緊張した表情になったので、田上少佐も鋭くバックミラーを覗いた。
『あの人の行動は確かにおかしいですね』
『そんな呑気なことぢゃ困りますよ。大谷少将は習志野のメムバーになってるのを知ってますか。馬鹿々々しい』
『エ、あの石井部隊長の処にいるッて?』
『そうです。私も昨日はじめて知ったのですが、米軍も横の連絡が悪いのは日本軍と同じですなあ』
さすがに田上も顔色が変った。
『キリコフが着任したとなると、細菌戦のオーソリティだけに気を付けないとなりませんよ。奴はきっと大谷少将に連絡をとるでしょうから、その現場を押えましょう』
『是非、そうして下さい。私の方では、彼と一緒に帰った将官連中から、貴方へ情況を知らせましょう』
『メジャー・田上。並木元少将のことでしょう? 御存知でしょうが彼は二重諜者(ダブルスパイ)ですから充
分注意して下さい』
『ハイハイ。ミスター・勝村。私はいつも叱られてばかりですね』
車は東京温泉の前で止った。
『オット、忘れていました。頼まれていた例の証明書です』
田上が差出す小さな紙片を、勝村はうなずきながら受取った。
自動車年式オヨビ型式
一九四二年 ポンティアック箱型
車輛登録番号 三〇七九四
所有者 ——
関係者各位
重大ナル交通違反オヨビ事故以外、当自動車ハ抑留サルルコトナク、又運転手オヨビ同乗者モ尋問サルルコトナシ
警視総監 田中栄一 印
その紙片にはこう書いてあった。大変な許可証である。もちろん、こんな許可証はこれ一枚限りで、他には発行されていないことはいうまでもない。