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p62下 わが名は「悪徳記者」 この瞬間に大勝負へ踏み切った

p62下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 私は決断を迫られた。私の無言に、小笠原は誠心誠意、人間の信義をかけて、再び頼みこんできた。私は彼の眼をジッとみつめて、しばらく考えこんだ。ホンの数分である。イヤ数十秒かも知れない。
p62下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 私は決断を迫られた。私の無言に、小笠原は誠心誠意、人間の信義をかけて、再び頼みこんできた。私は彼の眼をジッとみつめて、しばらく考えこんだ。ホンの数分である。イヤ数十秒かも知れない。

そればかりではない。数字を明らかにしたくないが、私が月々得る雑誌原稿料は相当なものであった。

この私が、どうして、十万やそこらのメクサレ金で、刑事訴追を受けるような危険を冒すであろうか。もしも、誰かが一千万円も出すといって頼みにくれば、しばらくは考えこむだろうが、百万円もらってもイヤである。私の将来がなくなるからである。私の二人の可愛い子供たちが、学校へ行けなくなるし、三田姓を名乗る一族のすべてが、肩身せまくなるからである。

私の意志は、小笠原のこの突然の、虫の良すぎる申し出の前で、全く自由であった。彼の意志に反して、彼の眼前で警視庁へ電話して突き出すことにも、恐怖なぞ感じなかった。私は取材で、記事で、もっと恐いことを味わっている。

私は決断を迫られた。私の無言に、小笠原は誠心誠意、人間の信義をかけて、再び頼みこんできた。私は彼の眼をジッとみつめて、しばらく考えこんだ。ホンの数分である。イヤ数十秒かも知れない。――私は決心して、『よろしい。やってみましょう。ただ、北海道といえば、頼める人はただ一人、旭川にいた私の昔の大隊長だけです。その人がウンといったら、紹介してあげます。もし、ダメだといったら、あきらめて自首なさい。』

私はこの瞬間に、大勝負へ踏み切ったのであった。新聞記者として、一世一代の大仕事である。まさにノルカソルカであった。戦争と捕虜とで、〝人を信ずる〟という教訓を得た私は、小笠原を信じたのである。 人は笑うかも知れない、『何だ、タカがグレン隊の若僧に……』

p64上 わが名は「悪徳記者」 「安藤に会わせろ」も可能になる

p64上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 ――ヨシ、やろう。 私の決心は決まった。たとえ、最悪の場合でも、四人が逮捕されても、小笠原一人が残る。そこで、小笠原を逮捕させて、事件は解決する。
p64上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 ――ヨシ、やろう。 私の決心は決まった。たとえ、最悪の場合でも、四人が逮捕されても、小笠原一人が残る。そこで、小笠原を逮捕させて、事件は解決する。

しかし、そうではない。安藤親分のただ一言、「横井の奴、身体に痛い思いをさせてやれ」で、現実に千葉が射っているではないか。

同様に、安藤が「皆、自首しろ」と命令しさえすれば、この計画の実現性はあるのだ。花田に「安藤に会わせろ」と交渉して、果して花田は安藤のアジトを教えるだろうか。たとえ、安藤にあうことができて、「私の手で自首しろ。五人の身柄を私にまかせろ」と、説得できるだろうか。私が、ただの〝新聞記者〟にすぎないならば、安藤を説得することは難かしい。

元山の会見記のように、先方にも新聞記事を利用しようという気があればまだしもである。しかし、今度は自首である。自首すれば早くて四、五年はこの娑婆とお別れだ。共産党であれば、政治的にそのことに価値があれば、まだ説得できる。しかし相手はヤクザだ。ヤクザにはヤクザらしい説得法がある。

私は小笠原を一時的に北海道へ落してやろうと考えた。私はあくまで小笠原に頼まれただけだ。私が「犯人隠避」という刑事訴追をうける危険を冒しても、ここで一度彼らへの義理を立てるのだ。私が、職を賭して彼らへ義理立てさえすれば、「安藤にあわせろ」の要求も、安藤の説得も可能になる。〝一歩後退、五歩前進〟の戦略だ。

――ヨシ、やろう。 私の決心は決まった。たとえ、最悪の場合でも、四人が逮捕されても、小笠原一人が残る。そこで、小笠原を逮捕させて、事件は解決する。北海道に何のカンもない彼には、金もあまりないことだし、旭川に預けておけばフラフラ道内を歩くことは不可能だ。彼との固い約束で、自首の決心さえつけば上京してくる。

p65上 わが名は「悪徳記者」 「旭川までの切符を買ってください」

p65上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 今さら、「それは困る」とはいえない。塚原さんを東京駅に送ると、交通公社で切符を買い、三越で下着類を買って、再び「奈良」へもどった。
p65上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 今さら、「それは困る」とはいえない。塚原さんを東京駅に送ると、交通公社で切符を買い、三越で下着類を買って、再び「奈良」へもどった。

この場合は、密航ルートの調査資料を、当該当局に提供することによって、訴追をまぬかれているのだ。犯人を逮捕させることによって、その経過の中の不法行為もまた許されるであろう。

翌七月十二日、正午すぎに塚原さんが最高裁内の記者クラブにたずねてきた。二人で「奈良」へ向った。二人を紹介したところ、塚原さんは事務的に、旭川の外川材木店の住所と駅からの略図とを書いて教えた。約三十分の会見で塚原さんは立ち上った。その時、小笠原が、私に一万円を渡して、「下着類と旭川までの切符を買って下さい」と頼んできた。そうすることに若干の抵抗は感じたが、もはや私の計画は実行行為に入っているのだ。今さら、「それは困る」とはいえない。

塚原さんを東京駅に送ると、交通公社で切符を買い、三越で下着類を買って、再び「奈良」へもどった。十六時五分という急行があるので、それに間に合うようにと、車を飛ばして上野駅へかけつけ、小笠原を駅正面でおろしたのが、四時十分前ごろであった。