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雑誌『キング』p.107上段 幻兵団の全貌 無根の事実がねつ造

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.107 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.107 上段

ターリンは素晴らしい!)と。ふだんから要領のうまい最初の男を嫌っていた最後の人の良い男は、真剣な表情で前の二人に負けないだけの名文句を考えるが、とっさに思いついて『ヤポンスキー・ミカド・ターク!』(日本の天皇なんかこうだ!)と、首をくくる動作をする——これが美辞麗句をぬきにして、ソ連大衆が身体で感じているソ連の政治形態の恐怖のスパイ政治という実態だった。

戦争から解放されて、自由と平和をとりもどしたはずの何十万人という日本人が、やがて〝自由と平和の国〟ソ連の軍事俘虜となって、慢性飢餓と道義低下の環境の中で混乱しきっていた。その理由は、俘虜収容所の中にまで及ぼされた、ソ連式密告スパイ政治形態から、同胞の血で血を洗う悲劇が、数限りなくくりひろげられたからだった。

一片のパン、一握りの煙草という、わずかな報償と交換に、無根の事実がねつ造され、そのために収容所から突然消えて行く者もあった。収容所付の政治部将校(多くの場合、赤軍将校のカーキ色軍帽と違って、鮮やかなコバルトブルーの青帽をかぶったNKの将校である)に、このご褒美を頂いて、前職者(憲兵、警官、特務機関員など)や反ソ反動分子、脱走計画者、戦犯該当者、その他種々の事項を密告(該当事実

迎えにきたジープ p.128-129 恐しい誓約書を書きました

迎えにきたジープ p.128-129 In Harbin, like every night, Communist Party military police squad with large pistol patrolled the dance halls. The purpose was to hunt for the Kuomintang special agency (kuo-tau).
迎えにきたジープ p.128-129 In Harbin, like every night, Communist Party military police squad with large pistol patrolled the dance halls. The purpose was to hunt for the Kuomintang special agency (kuo-tau).

ソ連潜入! 別れねばならなかった愛する和子への、一沫の哀愁を抱いて、彼は特殊任務のため、再び黒河に潜行した。渡河の機会を狙っているうちに、やがて終戦の日が来た。逃げる暇もないソ連軍の進撃に、彼は捕虜としてシベリヤに送られたのであった。

彼が青木大佐の部下として舞鶴で働らいていた、二十四年の九月ごろ、初の中共引揚として、大連集結の婦女子が高砂丸で帰ってきたことがある。その中に華やかな色どりをみせていたのは、中共の享楽追放でハルビンを締出されたダンサー・グループであった。

こうして、再び相見ることはないはずの、勝村と和子はめぐり逢った。解逅の感激はロマンチックであったが、十年近い歳月の流れという現実はきびしかった。

長い長い抱擁と涙ののち、鋭く勝村に問いつめられて、いまはチェリーと名乗る和子は、その赤い密命にのろわれた数奇な運命を語った。

『覚悟はしていたものの、やはり、あなたが憲兵に連れていかれてからは、一月余りも毎夜泣き通しでした……

野獣のようなソ軍を防ぐために、進んでシルクローズのダンサーになりました。これがそもそもの悪夢の始まりだったのです。ソ連兵が去り、国民党が中共に追い出されて、どうやら秩序が回復しかけてきたころです。

中共の享楽追放は、ハルビンの街のネオンを一つ消し、二つ消し、重税と厳重な取締りとで、私たちの回りにもヒシヒシと迫ってきました。

毎晩のように、何回となく、木のケースに入れ長い飾り紐をつけた大型拳銃を、ブラブラさせながら、五人、十人と隊を組んだ中共の執法隊が廻ってくるのです。

第一の目的は国特(クオトオ)狩り、つまり国民党特務を摘発しようというのです。そのため、私たちには密告のノルマが課されたほどです。

第二の目的は課税です。踊っている中国人は住所、氏名、職業を調べられ、果して遊ぶだけの正規な収入があるのか、不正な金ではないかとニラまれ、それだけ収入があれば遊ぶ余裕があるとして、それだけ重税を課せられるのです』

和子は苦しい想い出に眉をしかめた。

『こうしてお客が減り、私たちの生活が苦しくなってきたとき、ソ連の政治将校のイワノフスキーが足繁く通いはじめました。やがて、私たちを身動きのならない羽目におとしこんで、スパイになるようにと脅迫するのです。

身体を投げ出して逃れようとした人もありました。けれども無駄でした。汚されたうえに更に脅迫が続くのです。一人落ち、二人承知し、次々に恐しい誓約書を書いてゆきました。そし

て私もとうとうその一人になりました。

迎えにきたジープ p.132-133 本多福三とキリコフが同席

迎えにきたジープ p.132-133 He is a talented engineer of Ishii Unit and a man named Fukuzo Honda. He is a leading expert on a series of anaerobic bacteria such as tetanus and gas gangrene. As the leader of human experimentation, he must be the first war criminal.
迎えにきたジープ p.132-133 He is a talented engineer of Ishii Unit and a man named Fukuzo Honda. He is a leading expert on a series of anaerobic bacteria such as tetanus and gas gangrene. As the leader of human experimentation, he must be the first war criminal.

『ウ、彼奴だ…』

脳症で小便樽に飛び込んだ男、あの濃い眉と険しい鼻の四十男の顔が、クラブ・ピジョンで

みかけながら、どうしても想い出せなかった男の顔とダブッて、ピタリと重なる。

脳症患者の輸血事件の想い出から、意外な男の記憶まで蘇ったのだが、すぐに疑問が浮んできた。

——彼は、石井部隊の有能な技師で本多福三という男だ。前職を秘していたのが幻兵団の密告で摘発された。

——それからすぐ収容所から居なくなった。銃殺されたともいわれたのに……

——石井部隊の人体実験の指導者本多研究員こそ、第一の戦犯でなければならない。

——その男が、細菌戦のオーソリティ、キリコフと同席しているとは!

破傷風菌、ガス壊疸菌など一連の嫌気性細菌については、本多技師が第一人者だった。

石井部隊当時、安達駅の特設実験場で行なわれたガス壊疽菌の人体実験を企画し、実行したのも彼だった。

被実験者たちは、五—十米間隔で柱に面と向って縛りつけられていた。その頭は鉄帽で身体は楯におおわれ、ただ臀部だけが露出されていた。約百米の処で榴散弾が電流によって爆発させられた。いずれも露出した臀部に負傷した。そしていずれも死亡した。

彼の研究テーマはガス壊疸菌、破傷風菌、ボツリヌス菌(腸中毒菌)など、嫌気性病原菌の

最も危険な濃縮体の発見だった。つまり、乾燥させられ、真空状態でも長期の保存に堪えられる濃縮体は、一CCで約四、五万人を殺りくできると予想されていた。

そして、自由な人体実験が、彼にだけ許されて、その研究を助勢していた。研究の成果が着々とあがりつつあった時、彼の祖国日本は壊滅したのである。そんなふうな本多技師の業績は、その実験材料「丸太」や「モルモット」の供給者だっただけに、勝村もいつか聞知っていた。

時計をみるともう一時間半も過ぎている。大谷少将の件は諦めて赤坂見付駅へ歩き出した。本多技師が生きて内地へ来ている。しかもキリコフと連絡ありとすれば、大谷元少将などの諜報とは違って、積極的な謀略に違いあるまい。一刻も早くアジトと仕事の様子を洗い出さねばならない。

——奴の真空保存の研究は完成したかな?

そう思うとヂッとしていられない気持に駆り立てられて、思わず急ぎ足になったが、今のところ調査にかかる端緒がない。チェリーが先夜、彼にいろいろのさぐりを入れたに違いないので、彼女の報告を待たねばならない。

——そうそう四人組の吸血鬼を忘れていた。

彼は浅草行のメトロに乗って、谷中警察署へ向った。