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最後の事件記者 p.212-213 誘惑と恫喝と取材の困難

最後の事件記者 p.212-213 『フーン。若いナ。君は去年あたりでも卒業したのかね。ソラ、何といったかネ、編集局長は? ウン、そうそう、小島君。彼は元気にやっとるかネ』
最後の事件記者 p.212-213 『フーン。若いナ。君は去年あたりでも卒業したのかね。ソラ、何といったかネ、編集局長は? ウン、そうそう、小島君。彼は元気にやっとるかネ』

中国に、中国人として生れて、上海、香港のような植民都市を好み、米人の妻となり、日本の恋人の面影を求めて、新らしい植民都市東京に流れてきた彼女。そこには、スパイではないかと疑っている官憲が、その挙動をみつめている。

何かこみ上げてくるいじらしさに、私は新聞記者という職業意識も忘れて、抱きしめてやりたいような感じのまま、しばらくの間、この美しい異邦人をみつめていたのだった。

不良外人

このマンダリンの主役のもう一人は、ウエズリー・大山という二世だ。日活会館にあるアメリカン・ファーマシーの社長である。彼はその富国ビルの事務所に、私の訪問を受けると小心らしくあわてた。彼は保全のヤミドルで捕ったり、そのあげくに国外へ逃げ出してしまった。帰国すると、サンキスト・オレンヂのヤミで逮捕状が待っている。

『オウ、そんなことありません。それよりも、ワタクシ、まだゲイシャ・ガールみたことないです。アナタタチ、案内して下さい』

そんな誘惑をしてくる時計の密輸屋は、日活会館に堂々と事務所を構えている。

人品いやしからぬ、日本人の老紳士の訪問も受けた。アメリカのヤミ会社の顧問だというのだ。私たちの調査をやめてくれというのだ。彼はいう。

『何分ともよろしく、これは、アノ……』

ある時は金を包まれもした。相手の眼の前で、その封筒を破いて、現ナマを取り出し、一枚、二枚と数えてやる。

『ナルホド五万円。これで、あなたは、読売記者の〝良心〟を買いたいとおっしゃるのですか。残念ながら、御期待にそえませんナ』

皮肉な言葉と表情で、相手のろうばい振りをみつめているのだ。

日本の弁護士から電話がくる。何時にアメリカン・クラブで会いたいという。出かけてゆくと……

『フーン。若いナ。君は去年あたりでも卒業したのかね。ソラ、何といったかネ、編集局長は? ウン、そうそう、小島君。彼は元気にやっとるかネ』

社の幹部を、親し気にクン付けで呼ぶ種類の人たち。このような人には、こちらもインギンブレイで答える。

誘惑と恫喝と取材の困難。

『お断りしておきますが、私はあと一カ月で、アメリカ合衆国市民の権利を獲得するということに御注意願いたい』彼は現在、無国籍の砂糖の脱税屋である。本人はシベリア生れ、妻はハル ピン生れ、息子は上海生れ、という、家族の系譜が、彼を物語る。

p68上 わが名は「悪徳記者」 退社して逮捕されることを望んだ

p68上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 務台重役はニコニコ笑われて、「キミ、記者として商売熱心だったんだから仕様がないよ。すっかり事件が片付いたら、また社へ帰ってきたまえ」と、温情あふれる言葉さえ下さった。
p68上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 務台重役はニコニコ笑われて、「キミ、記者として商売熱心だったんだから仕様がないよ。すっかり事件が片付いたら、また社へ帰ってきたまえ」と、温情あふれる言葉さえ下さった。

「取材以外の何ものでもない。だから何時でも逮捕されるなら、出頭するから呼んでほしい」と、自宅の電話番号まで知らせた。社会部の先輩や社の幹部からも、「取材だから止めることはない」と、私を思って下さるお言葉を頂いたが、小笠原に「自首ではなく逮捕だぞ」と念を押した信念から、私自身の違法行為の責任を明らかにするため、退社して逮捕されることを望んだのであった。社へ迷惑をかけないためである。「苦しい〝元〟記者」との批判もあったが、このような事情である。〝勝てば官軍、敗ければ賊軍〟とは名言であった。

こうして、二十二日正午までに出頭を要求されたが、私が二十日に書いた辞表は二十二日午前、高橋副社長、務台総務局長、小島編集局長の持廻り重役会で受理された。社で私につけてくれた中村弁護士との打合せをすませ、重役たちに退社の挨拶をしようとしたが、務台重役以外は不在だった。務台重役はニコニコ笑われて、「キミ、記者として商売熱心だったんだから仕様がないよ。すっかり事件が片付いたら、また社へ帰ってきたまえ」と、温情あふれる言葉さえ下さった。私はそれでもう、退社して逮捕されることも気持良く、満足であった。記者としての私を理解して頂けたからである。

万年取材記者

私がもし、サラリーマン記者だったなら、もちろん〝日本一の記者〟などという、大望など抱かなかったから、こんな目にも会わなかったろう。もし、それでも逮捕されたとしても、起訴はされなかったろう。 七月の四日すぎ、多分、七日の月曜日であったろうか、警視庁キャップの萩原君が、ブラリと最高裁のクラブにやってきた。