これが私と王長徳との出会いのはじめであるが、〝過去のない男〟の彼は、朝鮮人とも北鮮育ちの中国人ともいわれるが、異国での生活の技術にか、とかく〝大物〟ぶりたいという癖のある男だった。金の話は常に億単位なのだから、国際バクチ打ちの〝身分〟を買って出たのも、彼の生活技術であろう。
特ダネこそいのち
ニュース・ソース
小林元警部補とは昭和二十七年から三十年の三年間、私が警視庁クラブにいた時に、彼が現職だったので知り合っていた。ところが彼は退職して、銀座警察の高橋輝男一派の顧問になってしまった。そのころも、銀座あたりで出会ったりしていたのだ。
高橋が死んでから、彼は〝事件屋〟になって王と近づいたらしい。今度の横井事件でも、王、小林、元山らが組んで蜂須賀家の債権取立てを計画したようだ。六月十一日に横井事件が起きた翌日、王から私に電話がきて、「問題の元山に会いたいなら、会えるように斡旋しよう」という。私は即座に「会いたい」と答えた。十三日の夜おそく、元山は王と小林に伴れられて私の自宅へ
やってきた。
元山との会見記は翌十三日の読売に出た。
週刊読売の伝えるところによると、新井刑事部長は部下を督励して、「新聞記者が会えるのに、どうして刑事が会えないのだ」と、叱りつけたそうである。しかし、この言葉はどだいムリな話で、新聞記者だからこそ会えたのであった。
この元山会見記は、同日朝の東京新聞の花形を間違えたニセ安藤会見記(木村警部談)と違って一応特ダネであった。しかし、私が司法記者クラブ(検察庁、裁判所、法務省担当)員でありながら、警視庁クラブの担当している横井事件に手を出したことが、捜査本部員をはじめ、他社の記者にいい印象を与えなかったようでもある。
私をしていわしむれば、誰が担当の、何処が担当の事件であろうとも、新聞記者であるならばニュースに対して貪婪でなければならないし、何時でも、如何なるものでも、ニュースをキャッチできる状態でなければならないのである。
新聞記者の財産はニュース・ソースである。「貴方だからこれまで話すのだ」「貴方だからわざわざ知らせるのだ」という、こういう種類の人物を、各方面に沢山もっていてこそその記者の値打ちが決るのである。誰でもが訊きさえすれば教えてくれること——これは発表である。誰でもが簡単に知り得ることは、これはニュースとしての価値が低いのは当然である。
例えば、両国の花火大会の記事は、ニュースではあるが、誰でもがこのニュースにふれること
ができる。公開されているニュースだからである。機会は均等である。