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新宿慕情 p.062-063 ムースーローをオカズに

新宿慕情 p.062-063 ケーキなら、伊勢丹横の小鍛冶である。新宿では、小鍛冶のケーキ以上に美味いケーキには対面していない。
新宿慕情 p.062-063 ケーキなら、伊勢丹横の小鍛冶である。新宿では、小鍛冶のケーキ以上に美味いケーキには対面していない。

スパゲティを食べるなら、丸井横通りのミラノ。不愛想なオッサンが目障りだけど、やはりス

パゲティの専門店だけあって息が長い。

ここでは、いつも、ポークピカタを食べる。旨い。量もあって、よろしい。

決してひとりではいかない店というのもある。つまり、連れがいて、食べたいものの意見が合わない時は、三越のウラ、甲州街道に近いコメットだ。

ここは、和洋料理をともに出す。私の主義からは、キライなハズなのだが、コックと板前と〝才色兼備〟がいるものだから、とんかつもよければ、酢の物、茶わんむしも良し、といった感じなのだ。……残念ながら。

大衆てんぷらが食べたい時は、三越ウラといえば、船橋屋、つな八などを推す人が多いが、あれらは、やはり、値段に比べて味が落ちる。それよりも、三光町と三光町東の、ふたつの交差点にはさまれた、玄海の向かい側にある天春だ。

料理としての天ぷらではなくて、メシのオカズの天ぷら、と考えていただきたい。

ギョーザなら、もう、四、五年も行っていないので、自信にかけるウラミはあるが、やはり石の家。甲州街道寄り、靖国通り寄りのいずれも、家内と良く行ったものだった。

ギョーザとチャーメンと、ゴハンをひとつ。それに、ムースーロー(きくらげと肉とを、玉子で炒めとじしたもの)をオカズに、仲良く半分ずつ食べる。

この石の家のムースーローほどうまいムースーローには、まだ、出会ったことがない。

肉、きくらげ、玉子の、量の比率がドンピタなのであろう。炒めものは、火力、油、ナベの使

いこみ度、そして、材料の混合率でキマる、のだから……。

ケーキにだんごも

で、対象が飛ぶけれども、ケーキなら、伊勢丹横の小鍛冶である。

これまた、新宿では、小鍛冶のケーキ以上に美味いケーキには、まだ、対面していない。

だが、この店のカンバンが早いので、夜遅く、ケーキを食べたい時は、やむなく、区役所通りの、コージーコーナーだ。だが、こことて、〝次善〟とはいかず、二、三がなくて〝四番〟ぐらいだろうか。

そして、ついでに、東映横の追分だんご。だんごなら、ここに限る。アンコなどの種類やら甘さやら、目先を変えて、いろいろ出してはいるが、ともかくこの店のは、ダンゴそのものが上等だから。

むかしは、この店の幕之内弁当も良かった。新宿で、幕之内をたべたくなると(もっとも、幕之内弁当を出している店が少ないみたい)、必ず、追分だんごまできたものだが、二年ほど前に値上げしてからサッパリ。

材料もさることながら、味もダメで、値段と味とのバランスがくずれてしまった。

そこで、フト思いついて、伊勢丹の食堂へ行って、幕之内を発注してみたが、やはり、幻滅感を味わっただけだった。

新宿慕情 p.064-065 新宿にはうなぎ屋がない

新宿慕情 p.064-065 私の食べ歩きは、一店一品種。「いまナニが食べたいか」「ではあの店に行こう」となる。西口と歌舞伎町は、いっぺんこっきりのフリの客相手の浅草仲見世通りと同じ。
新宿慕情 p.064-065 私の食べ歩きは、一店一品種。「いまナニが食べたいか」「ではあの店に行こう」となる。西口と歌舞伎町は、いっぺんこっきりのフリの客相手の浅草仲見世通りと同じ。

そして残念なことに、うなぎ屋がないのだ。

うなぎほど、高い値段のクセに、味に甲乙がありすぎるものがない。区役所通りに、岡田家というのがさきごろ開店して、そのチラシが、社のポストに入っていた。

店に行ったことはなく、出前を頼むだけだから、いささか、正鵠を失するかも知れない。だがここの特上、千五百円のうな重と、築地の宮川本廛の、同額のうなぎ(汁、めし、おしんこがプラスされるから、厳密には、比較できない)とは、まさに、月とスッポンほど違う。

築地の宮川本廛(宮川、もしくは宮川本店、というのが、近くにあるが、ここは、築地署ウラになる)では、店に入って注文してから、まず、三十分は待たされる。

しかし、ここで、千五百円の蒲焼きを食ったら、まず、「アア、うなぎを食ったナ」と、よろこびに浸れることは、請け合いである。

では、日本料理は? とくると、いうまでもない。中央口のすぐそば。九階建てのビルの八階九階を使っている、京懐石の柿伝である。

お茶の作法を教わりながらの料理は、また、格別なもの。お客さんをしても良し。スタンドで一品でのんでも良し、と、推さざるを得ないが、まず、一万円以上につくことも確かだ。

と、こうして眺めてみると、思いつくままの、私の食べ歩きだが、一店一品種——つまり、おなかが空けば、「いま、自分はナニが食べたいのか」と、情勢分析をする。その結論に従って、「では、あの店に行こう」と、なるわけで、西口と歌舞伎町とがない。

いうなれば、西口と歌舞伎町とは、いっぺんこっきりのフリの客を相手にする、浅草仲見世通りの食べ物屋と、同じ精神だということになる。

ふりの客相手に

「フリー」は間違い

余談だが、週刊新潮誌七月三十一日号の「スナップ」欄に、歯医者の話があって、「フリーの客をしめ出すための……」というクダリがある。

新潮社版の『新潮国語辞典』一七二三ページに「ふり(振り)」の項がある。その七番目にはこうある。「①遊女などが客をきらうこと。②なじみでもなく約束もなく、遊女の客が突然来るもの」

〈フリーの客〉は、これでも明らかなように、〈ふりの客〉の誤りである。週刊新潮誌のために惜しめばこそ、ご注意を申しあげておこう。

さて、〝ふりの客〟などは、あまり立ち入らない一画が、我が正論新聞社のおひざ元だ。

花園神社の正門前に、明治通りをまたいで、大きな歩道橋がある。これを、〝中洲〟のような

花園まんじゅう店を越えて、対岸のかに谷・新宿店側におりると、通称医大通りである。