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新宿慕情 p.036-037 私たちも久し振りの書き初めをはじめた

新宿慕情 p.036-037 警視庁の記者クラブ詰めだったころの、ある正月。目黒の課長公舎で、午後からの延長戦の酒がはじまった。
新宿慕情 p.036-037 警視庁の記者クラブ詰めだったころの、ある正月。目黒の課長公舎で、午後からの延長戦の酒がはじまった。

「知らなかったんだから、しょうがないけど、これからは、許されないことだよ。きょうは、一度だけ、サセてあげるからネ、それで、もう帰んナ……」
おなさけで、私は、〝老醜〟のご用を仰せつかった。儲けたというべきか、損したのか……。

考えてみると、数人連れでワッときて、上がったこともあるような気がする。しかし、そんなことを、いつまでも厳重に憶えていられるものではない。

だが、それは、遊冶郎(ゆうやろう)としての、遊びのエチケットなのである。……こういったしつけは、なにも遊びだけではなく、次第にすたれてきて、日常生活が、サクバクとしたドライさを帯びてきている。

若い友人たちと、キャバレーなどに行くこともあるが、彼らは、平気で、見かけた〝好みのタイブ〟のホステスに、指名を変える。女もまた、それを平気で受ける。指名を外された娘はやや寂し気だが、私が経験したような、激しい抗議もなくそれなりに会釈をして、通りすぎてゆく。

「オレが、オレの金で遊ぶのになぜ、一度指名した女を、ずっと指名せねばならないのか、わからない。金を払うのは、オレだよ。それなのに、オレの自由がないなンて、そんな、バカなことありますかい!」

それが、いまの論理である。これも〝田中首相の後遺症〟というべきなのか……。

正月の警察公舎で

新宿二丁目の思い出に、特筆しなければならぬことが、もうひとつある。といっても、それはもう、遊郭から赤線になった戦後のことだ。

私が、警視庁の記者クラブ詰めだったころの、ある正月……。

いま、内閣で、室長の地位にある某氏が、まだ、課長だったころ、私と後輩のF君のふたりで、その課長宅を訪れた。私たちの担当課長だからだ。目黒の課長公舎には、この御用始めの日が、各課員たちの年賀の日で、夕刻ごろまでは、私服の警官たちで賑う。

ついさきほど、課員たちが帰っていったらしく、課長も、けっこう赤い顔をしていた。

外国勤務の長かった課長は、それなりに、警察官僚らしくない、闊達な男だった。

私たちの顔を見て、午後からの延長戦の酒がはじまった。部下相手の酒よりは、やはり、まわりも早いのだろう。奥さんも可愛いお嬢さんたちも出てきて、正月らしいフンイキが盛り上がってきていた。

小学生のお嬢さんたちが、宿題の書き初めをやり出したので、私たちも、久し振りの毛筆に

(写真キャプション)最近の新宿の二丁目には、まだ古い建物も残って……

興味を感じて、書き初めをはじめた。課長もその気になってきたようだった。